Aは誰のためのもの?

◇◆とりあえずの『A』を出さないと
 いけない時期に来ている
◆◇

結果を出せば出すほど、高い位置に付ける人間もいる
収入を上げ、ステイタスを上げ、ハイソな自分になるのでしょうか
さらに高い結果を求めることになるのでしょうか

システマチックなライフスタイルを送っているライフジョガ—が
今夜の寝床も無いライフウォーカーの横をジョギングする
そんなシーンが大阪、神戸だけではなく、
川西、宝塚でも目にする時代になるかもしれない

今在る資源をどう活かすか
皆が持つ私たちの可能性をどう活かしていくのか
いったい私たちはどう考えていくのか
結論をどのような方向性で考えていくのか
結果をどう出していくのか

そのような結論を考えられる立場の者は結果を出した者しか無理なのか
スイミーの千倍の結束力は使用不可能なのか
スイミーの決断力でみんなで力を出し合って、結果を出そう。

そんなことを僕の尊敬する方が言ったような気がします。
ホントにその通りだと思うのですね。
力のない者だって、知恵と体力を出し合えば大きな結果を出せるのですね。
この結果を出すことを求められる—第一義な世の中であってもです。

活動家の湯浅誠さんが、
「何事もひとりでは出来ない。だから私は場をつくり
みんなの力で社会を変えていこうとする」
という主旨の発言をされることがあります。

結果主義とは仕方のないことなのです。
不況になり、合理主義になっていき、
その結果、結果を出したもの(だけ)が成功を手にする時代となった。
その中で結果を出すことに失敗したり、
結果を出す能力が無い人間は社会の隅に追いやられる時代となった。

では、そうなったときこそ、どうしていくのか
私たちの人間性・人としての気持ちが問われます。

思ったより、長いシリーズとなりました。
次回でひとまず最終回としたいと思います。