◇◆そして、自分を公開することの意味◆◇
ある尊敬する若者支援者の方に
おっしゃっていただいたのですが、
「松尾くんは当事者であり、長期のひきこもりの経験をもつ。
そんな人がこれからどんな仕事をし、情報発信をしていくのか
強い関心があります。楽しみです」
たしかに松尾は、長期のひきこもりというだけではありません。
名前も顔も、病気も傾向(発達障がい)のことも公開しています。
このブログシステムは、阪神エリアを中心に
神戸、大阪エリアと網羅していますよね。
たとえば、町を松尾が歩いていて、
「ああ、あの人、みたことあるぞ。そうだ、ひきこもりで病気の人だ」
という、『出逢い』があったかもしれませんね。
以前、ある不登校・ひきこもり関連のセミナーに行き、
セミナー終了後、あるお母さんが松尾の顔をみながら近づいてこられて、
「あの〜ブログの方ですよね?」
とお聞きになられたので、
「そうですよ。ブログをしていますよ(^v^)」
とお返事すると、
「そうですよねぇ〜。うちの息子もひきこもっていて、
(あなたと)同じくらいの年なのですよ。
また、(ルートに)行くかもしれないので、その時はよろしくお願いします」
という『ふれ愛』がありました。
何が言いたいのかというと、
自分の経歴や事情、苦しみや楽しいこと、
名前や顔をネット上で公開するということは
マイナス面もあると思いますが、プラスの面もあると思うのです。
(あくまで、松尾の場合です。)
僕はマイナス面よりも、プラスの面を優先させたいと思っています。
自分が名前も顔も病気も公開し、どんな人がどんな生きづらさを抱え
生活しているか、みてもらう。
こんなやつと捉えられるか、頑張っているねと捉えられるか、
それは人それぞれさまざまだと思います。またそれでよいのですね。
ひとって思ったよりも多様ですし、ひとりの人間の中でも
やさしい部分、みにくい部分が同居しています。
完全なる勧善懲悪なんてありえません。
善い行いをする方でも、悪い部分は必ずあります。
と、松尾は思っています。
話をもとに戻しますね。
人間が生きていくということは、自分本位でもあり、
他者にゆだねるところもあるかと思います。
自分の思い通りにはならないのですね。
だから、他人にどう思われるか、捉えられるか
という視点は必要だと思います。
「こんな人間が、こんな失敗をしていたり、
こんな悩み・苦しみを抱えていたり、
(自分のせいで)こんなに楽しそうにしていたり、
また、悲しい・苦しい想いをしていたり」
そのような他者の目にそった視点というものが大事だと思えるのですね。
これができるのならば、『空気を読める』ということなのでしょうか?
もちろん、このようなことが持って生まれたものとして、
苦手なかたもいらっしゃると思います。
ですが、訓練するということ、他者の目に添うトレーニングをすること
大切だと思えるのですね。
これができるようになると、ライフとはとても楽にたのしくなるのだと
松尾自身は捉えています。(松尾が空気を読める人間というわけではなく
空気を読むトレーニングの最中で、本当に少しずつではありますが
成果も出てきているというわけです。)
僕はこのようなことを、いろいろな性格の傾向・病気等から悩みを持ったり
不登校・ひきこもりになったりしている方へ、お伝えしたいのです。
そしてできることなら、松尾伸二というこういう人間は悩んだりもするけれど
ハッピーに生活していますよ。少なくともそう生きたいと思っていますよ。
ということを顔付きでお伝えしたいのですね。
宝塚市社協の職員さんに、
「松尾くんは目立ちたがり屋だから(^v^)」
なんて冗談で言われたのですが、なんでもよいのですね。
とにかくこんな生きづらさをたくさん抱えたやつがいるということ
知って頂きたいのですね。
最後に—松尾は、病気・障がいのカテゴリーだけではなく、
どなたにでも、そのような傾向はあり、それらの事柄で
悩みがある方にたいして、そしてそうしたうえで、
これらは誰にでもあることだし、めずらしい存在でもない、
人間というものがずっと抱えてきた(これからも抱える)
普遍的なテーマであることもお伝えしていきたいのですね。