守秘義務について◆当事者◇支援者の立場で:その2

◇◆個人情報をあつかう(守秘義務)とは
 頭で考えるよりも難しいと思う
◆◇

それは、人間同士の微妙な関わり(関係性とか、やり取りとか)
の中で、個人情報にも出くわすからです。
何気に、クライアントの秘密部が垣間見れる時もあるでしょう。

人間とは、数学通りには動けません。
ひとつの正解だけではない、国語の問題のように
動き、悩み、ぶつかります。

『支援者とは国語的にも数学(物理:論理)的にも動かないといけない』

カルテが無ければ、しっかりとした支援は出来ないと思います。
面談なりで、クライアントから伺ったことだけが情報(カルテ)なのでしょうか…。
個々人にはそれぞれに培ったものがあります。
人生においての蓄積というものです。
人間には記憶(想い出)と共に、蓄積(たどってきた道)があります。

◎以前からあった情報
 ふとした時に垣間見たそのひと
 ちょっとした時に直接うかがったその人の記憶・想い出・人生
 だから、新たに次々と、カルテにクライアントの情報が
 書き込まれていくのだと思います。

松尾にも山あり谷あり、患者として、いろいろなことがありました…。
それは情報(カルテ)として、主治医さんがお持ちです。
現在はSWの支援は受けていませんが、
以前は宝塚市社協のサポートを受けていましたので、
ワーカーさん同士の情報の共有があったかと思います。

その情報の共有が無ければ、見た目(雰囲気)や病名による先入観、
今までの言動等による噂ですべてが判断され、
松尾に関わる→その先の支援(ワーク)に関しては、
難しいものがあるのだと思います。

その一人ひとりのクライアントの様々な要因をまとめ、
支援しやすくするために、
情報をワーカー同士が共有するということは
必要なものだと思うのですね。
共有することによって、支援をスムーズなものにし、
相当する支援ができ、なおかつ支援者にも利用者にも
わかりやすくなるのだとすれば—より良いわけだと思うのですね。

というわけで、個人情報の共有について、
松尾の見解を述べさせて頂きました。
「いや、それはちがうよ」
というご意見もあるかと思います。
あくまで松尾は当事者側でもあるので、
当事者の視点にそって、意見を述べたつもりです。

※さいごに—支援者が物理的にも国語的にも動くのであれば、
 ケミストリー(化学反応)が期待できると思います。
 (その化学反応にたいして、憂慮する意識は持つ必要はないと思います。
 支援者は研鑽:蓄積を積んできているはずですから。)