生きづらさを持つ私たちのサブな生き方イズム

◇◆できないことを出来るようにではなく、
 出来ることにこそ着目しよう
◆◇

以前このブログにて、「生活力」を身につけると、
アルバイト就労が何かと好都合になる云々を
書かせて頂いたことがあります。
まったくそうなのですね。基本的生活スキルは、
ヒッキー系パーソンにとって、百利あって一害無しといえるし、
必要だとすら断言できるものなのです。

今回のテーマは「発達障がい(傾向)を持つパーソン」にとっての
就労への考え方です。難しそうだなあ〜と嘆くなかれ。
これからのヒッキー系就労(支援)は、このキーワードが重要になってくる
といっても過言ではないのですね。
(松尾もそうなのかもしれませんが)、若者支援に携わる者にとって
必要不可欠なカテゴリーなのですね。

これからは、いわゆる「ひきこもり」、「ニート」を
何とか親が生きている間に納税者にしようと
行政側も必死になってくるでしょうから、
必然的にその分野におとされるお金(行政のお金:予算)も増えてくるのでしょうね。
というわけで、松尾が書くブログ記事も、
必然的に(?)このカテゴリーの文章が多くなるかと思います。

サブ表題の
「できないことを出来るようにではなく、出来ることにこそ着目する」
なのですが、この文章の通りなんです。
たとえば、出来ないこと:接客的なこと、文書を書くこと、
報・連・相を出来るようにする—というのは、
ひきこもり系就労支援の基本中の基本だと思います。

確かにそうなのですが、出来ないものは出来ないというか、
持って生まれた性質(生きづらさ)からして、
そのようなビジネススキルが苦手だし身に付かないんだよな〜
ということはどうしてもあるかと思います。

それなのに、いや基本的コミュニケーションや、ビジネス文書、
最低、報告・連絡・相談はできないと話にならないだろう、
とは指摘されると思います。
松尾もひたすらそう言われ続けてきました。
ですが、今だに使いこなせるようにはなっていませんし、
報・連・相がまあ何とか何とかやっとこさ…といったレベルでしょうか。
学生の方のほうがレベルは遥かに上だと思います。

ではどこに着目していくのか。
それは「出来ること」なんですね。
たとえば、オタク系スキル↓↓↓
(アニメ絵、アニメチックな小説、オタク系情報過多等等)、
これらを持ち合わせているとする、このうちの一つでも持っているとする、
そうなれば、それはもう「出来ること」なんですね。

どう活かしていくの?ですが、絵や小説(文章)ならわかるけれど、
オタク系情報なんてどうするの?は、活かせますよ〜(^^)v
サブカルチャー情報のネット・サイトがあります。
どこかに所属するというより、
自分でサイトなりをつくってしまうという方法も有りだと思います。

そんな技術はないよ、とおっしゃるかもしれませんね。
だから、組んだりするのですね。そう協力者を探すのです。
そんな人探せないよ〜、いえ方法はちゃんとあります。
オタク系のブログを作成するのですね。
かなりマニアックな文章になってきているかもしれませんが、
ヒッキー系の方にとっては許容範囲の文面だと思います。
ネット住民の私たちにとってはこれくらい序の口なのですね。

オタ系のブログって何さ?
オタク情報の詰まった、マニアックなブログを作成するのです。
そしてオタ系のサイトを作っている情報サービス会社に売り込む、
ネット上で顔の知らない相手と(ユーザー同士で)
メールでのやり取りをされている方もいるのでしょうから、
このへんも、許容範囲だと思うのですね。

もちろん、あやしい感じのサイト管理会社への連絡はNGです。
ここだけは十分に気をつけていきましょうね(^^)

今後の生き方—
サバイバルなのか、それとももっと気軽に捉えていいのか、
それぞれの家庭(経済等)環境、家族関係、体調によりけりだと思いますし
簡単な問題ではないと思います。

ですが、私たちは生きていきます。
野たれ死ぬのはご免なのですね。
だから、これからの生き方について—
やや強引な感もありましたが…(^_^;)、考えてみました。

私たちには私たちの持ち得る、特異ともいえる世界観があります。
それは、外国人が「OTAKU」と呼び、
こよなく愛するものの一つに入れることもあるくらいなのです。

今までの人生で培った、持ち得るスキルで勝負に出れるのか
という発想のもと、生きづらい私たちの就労について考えてみたのですが、
「自信を持っていこうよ」なんて言いません。
どの道を選んでもアウトサイダーな生き方だと言われるのかもしれませんね。
(何なら、ひきこもっていたことがあるというだけで。)

ですが、生きれるし、活かせます。
発想次第で幾らでも仕事に出来るのが現在の日本という国です。
カルチャーはそうなっているのですね。
良いとかそうではない、とかの問題ではまったくありません。
こう生きるのも有りなのではということを申し上げたかったのですね。

またそれで良いのだと思うのですね。
いろいろなものが崩れてきています。
新たなる価値観が生まれ、さらにいろんな常識・偏見が崩れてもきている、
こうなったら、もうどうとでも生きていけるのさ、という発想の転換、
私たちは私たちの価値観のもと、生き残る術を考えられたらと思うのですね。

大切なのは、親無き後も生きるということです。
これからもこのテーマでは、考えていきたいと思います◎

≪写真は、先日、神戸で行われた、
ひきこもり(元も含む)当事者会の二次会の場、神戸のファミレスです。
少しずつおもしろくなっていき、少しずつつながりが生まれてくる、
そんなゆったりペースの会です(^v^)≫