当事者論(2012年新春にて)

◇◆病気を抱えれば生きづらくなるのは仕方ない◆◇

もう15年も前の話になるのですが、
1997年のお正月を私はある精神病院でむかえました。
その頃は入院してから四カ月ほど経っていたので、
人に慣れ、入院患者としても慣れてきていて、
突拍子もない行動は取らなくなっていて、
平穏にお正月のテレビでスポーツ番組等を楽しみました。

入院当初は事情がちがっていたので、患者同士でも
わたしの事を相手にしてくれない方が多かったですし、
若い女性の看護師さんも必要以外は
わたしに接しようとはしない方も多く、
「ここまで来て、誰にも相手にされないのか」
と悩んだものでした。

その状況はわたしの変化と共に徐々にかわっていくわけですが、
今でもわたしがどこか「当事者論」について引いている所があるとしたら、
それは入院中の記憶によるところがあるのかもしれません。
「私たち当事者のために〜」という姿勢になりにくいところが
あるのかもしれませんね。

病人(障がい者)の中でも見下したり、バカにしたりは有り、
又それは人間の持つ本質的なものだと捉えているので、
その部分で”わたし自身が差別を受けてもしょうがない部分”
というものは何となく理解しているのですが、
でも、間違っていることにはそう声を発していかないと
ずっと見下されたままですので、そのような文章も書きますし、
発言させても頂きました。

やはり声を挙げる—文章を書いたり、発言したりしないと
何も変わらないのだなと痛感してきていますので、
ただ流れに任せるのではなく、私(たち)自身が声を挙げるべきなのだな
と率直に思えるようになってきました。

そのための活動とは—事務であり、場を設けること、
それらを基盤にして、書いたり、話したりがあるのだと思います。
書いたり話したりは見た目は派手ですが、
地道に『事務』と『場』を続けることによって、様々な事が蓄積され、
そして声を挙げる機会が与えられるのだなと心から思います。

なので、これからも(いやこれからは)裏方作業をしっかりと行う、
地味でも行い続けることが大切だと、やっとわかってきて、
そうしていきたいと思っている所存です。

世の中は急には変わらない、2012年ですべてが変わるわけではない、
ですがきっかけの年にすることは出来ますので、
微力であっても活動に加わっていきたいです。
時に失敗し、悩み、落ち込み、カッコ悪いとみられながらも
活動し続けていくのだと思います。

≪理解されないということは多々あるので、今年は柔軟にやわらかく
物事にあたっていけたらと考えています。
昨年のわたしはそうしなかったと感じています。
こちらがその軸をブラさなければ、話を聞いてくださる方は
必ず現れると考えます。それが私にとっての”自己責任”だと思います。≫