◇◆ただ美味しいコーヒーが飲みたかっただけから
変わってしまうのが嫌だった◆◇
昔、北イギリスの小さな村に、
オリバー・キャッスルという少年がいました。
かれは、クリスマスのときだけ飲ませてもらえる
コーヒーの味が大好きでした。
ですが、コーヒーはクリスマスのときにだけしか
飲ませてもらえません。両親になぜかと尋ねると
コーヒーは味が強すぎるとの返答でした。
そこで、オリバーは考えに考えました。
何としてもコーヒーを飲みたかったのです。
コーヒーの味を消さずに、ゴクゴクと飲める
方法を考えるようになりました。「そこ」に
行き着いたのですね。
皆さんもお分かりのように、ミルクと砂糖をたっぷりと
入れた「カフェ・オレ」を完成させました。
オリバーが10歳のときです。
カフェ・オレは当時、すでにフランスでは
飲まれていましたが、北イギリスの田舎町では
まだ一般的ではないし、飲まれてもいませんでした。
ですが、存在を知っている人たち(おもにお金持ち)は
いました。ただ何も知らないはずのオリバーという
農家の三男坊が、カフェ・オレを作り上げたことには
お金持ちの人たちも驚きました。
ちなみにオリバーは家の都合で小学校にも
行ってはいませんでした。
自宅で飼っている乳牛のミルクと
コーヒーとの化合物(オリバーはそう捉えていた)を
改良させていくのが、10代後半〜20代のオリバー青年です。
お金持ち(地主なのですが)の人たちをはじめ、
オリバーのカフェ・オレをこぞって買いに来る人が
増えてきました。「薄利多売」なんていう言葉を
オリバーはどこで覚えたのでしょうか、
お金持ちの御用聞きになるのではなく、
自分と同じ、貧しい人たちにこそ、カフェ・オレを
飲んでほしかったので、たくさん売って、
儲けは少しずつ—という商売方法にスパンしていきました。
オリバーは大人になってもタバコを吸わないし、
お酒も少ししか飲まないので、コーヒーを
ゴクゴクと飲みました。お医者さんにも
まったくコーヒーの飲み過ぎを止められませんでした。
むしろ「美味しくてみんなが大好きなコーヒーを
作ってくださいね」と主治医からエールをもらっていました。
オリバーは一生を、北イギリスの故郷のまちで過ごしました。
コーヒーだけではなく、紅茶も庶民の飲み物にしたかったので、
研究を重ねました。ロンドンはおろか、
マンチェスターやリバプールにも出ていきませんでした。
「空気とコーヒーの関係」というエッセイやコラムも
地元の新聞に書きました。
このエッセイやコラムの内容は、短くいうと
「コーヒーがいくら美味しいものであっても、
空気の悪い都会では、健康的ではない。
こころから美味しいと思えなくては、コーヒーの
美味しさを追求できない」
「私はここで私だけができる些細なことをやり続けるつもりだ」
「庶民が楽しんでこそ、文化だと思う」
というものでした。
自分のことをよく知っていて、出しゃばらず、おごらず、
けっきょく、当時としては高齢の85歳まで生きました。
最後の言葉は「ママに手伝ってもらえたのが
本当にうれしかったな」というものでした。
オリバー・キャッスルは自己の人生を全うしたのでした。
歴史の波に消されていった、小さな存在の実業家でしたが、
少なくとも彼は自分の人生に誇りを持ち、自由を許され、
お金も少し持っていて、自分の子どもたちには
好きなだけ勉強をさせてあげて—
そんな彼なりの幸せな人生を送ったのでした。