◇◆美味しい食材をしっかりといただく◆◇
もうさくねんの夏場の話になりますが、
時々、西宮北口の「西宮ガーデン」等に
遊びに行っていました。
一人で行くので、食事やカフェタイムも
シンプルというか、簡単に取ろうということになります。
この日の昼食は、からあげ弁当にコーヒーと
麦茶ですね。美味しく食べた印象があります。
食事は料理そのものではなく、
シチュエーションと、誰と食べるか、
気分が乗っているかにかかってくるのではなんて思うのですね。
それは、どういうことかというと、
シチュエーションは、舞台設定。
天候はどうか、食事を取る席はイケているか、
気の合う人と食べているか、好きな人と食べているか、
この条件をクリアすれば、おのずと気分よく食事がとれますよね。
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西宮ガーデンの夏は、心地の良い空間です。
緑が多く、そして人も多いのですが、その感情は
ある意味、私の個人的な弱さによるものだろうと思います。
私が強くなる——それは場数をこなすことです。
私は滅多に外出しません。自宅(自室)のほうが
気が楽というか落ち着くのですね。
外に出かけて、人と触れ合いたいなあという
気持ちはありますというより、かなり強いのだと思うのですが
外出があまりにも苦手なのですね。
ですが、一緒にどこかに出かける友達もいないので、
一人で電車に乗って、ガタンゴトンと列車等に揺られて、
西宮北口や神戸、梅田に出かけることになります。
本屋で数冊書籍を購入し、どこにでもあるよねのユニクロで
洋服をチェックして、電気屋さんにも寄ることにしています。
そんなこんなでお腹も空いてきて、何を食べようということになるにですが、
私は食堂・レストランに入りづらい人間なのですね。
苦手なのですね。なので、食材を一つ一つ美味しく食べれる
庭(ガーデン)的な場所で食事を取ることになります。
梅田や神戸では、ひっそりとしたカフェ等に入るのですね。
それでいいのですね。ある意味、今までの私の生き方でしょう。
私もいつの間にか、42歳になりました。結婚もしていませんし、
恋人も友達もいません。寂しいときはありますが、
それも受け入れているのかもしれませんね。
「生きているごはん」は感情が高ぶったり、おとなしくなったり、
その中でこそ、ごはんそのものが、生きている人間に
生きる勇気を手渡そうとしているにかもしれません。
「場」「ごはん」「人」「仕事」
これらは生きているごはんを食べようとしている人たちに
「夢」の部分でごまかすのではなく、
自分たちの「素材」で「夢」も持ってほしいと
強く念じているのかもしれませんね(^v^)
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