論じることについて

◇◆では「私:あなた」はどうしたら良いと思うのか
 という視点
◆◇

今、巷では「当事者の時代」という新書本が
ちょっとしたブームになっているようですね。
このブログを見られた方にとって「当事者」とは
ひきこもり、ニートであり、何かしら障がいのある方
というイメージなのでしょうか。

私はこのような本が売れていること自体が
良いことなのかなーと感じています。
論じること—これからどうしようかに発展していくのでしょうから。

そうなんです。私にとって、「論じること」とは
必ず「ではどうしていきたいのか」という
「これから」とセットになっているのですね。

なので、例えば「ひきこもり・ニート(レイブルは入れません、この際)」を
論じる、いろいろな問題点が出てくる、法制度的な問題、
支援の問題、ご家族との関係性について、本人の問題、
他にもいろいろと問題(課題)点が出て来ますよね。

ではその課題点について、これからどうしていけば良いのか、
私ならどうする?という視点を必ず持つようにしています。
もちろん、こちらは学者でも専門職でも何でもありません。

ですがこの「この課題点について、どうしていけば良いのか」
という視点はとっても大切なのかなあと思えるのですね。
その方法論(解決策)はとっても幼稚でお粗末なものかもしれませんね。
でもそれでいいのです。最初はそこから始まるのですね。
「私」はここからこの問題解決についてスタートさせるのです。

「当事者のこれから」について考えるのです。
論理は実践にも繋がるというのは乱暴な言い方なのでしょうか。
それも良いのでは。私なりの解決策のきっかけなんだよー、
これからみんなと論じたいんだよー、これでも良いのでは。

学問は一部の方々のものではないと思います。
皆が入り、いろんな方が集い、語りあい、
良いもの(問題解決策)を出していく。
そんなこんなの論じることの日常(気軽)さっていいなと思います(^v^)