ひきこもりと書籍の関係

◇◆双方とも寡黙?◆◇

私事なのですが、ここ数か月、ずっと体調を崩しています。
少し良くなってはまた悪くなりの繰り返しですが
全体的には良くなってきているので、
それを支えに闘病生活を送っている次第です。

この数か月で書籍をたくさん読みました。
時間は有り余っているので、本を沢山読みました。

私は書籍好きで、本がたくさんある書店に行くと
心がウキウキして、嬉しくてたまらなくなります。

なので、今回は本とあるひきこもり青年(中年?)の
関係について書かせていただきたいと思います。
どうぞお付き合いくださいね。

私が本を読むようになったのは、21歳ごろ、
ひきこもりのド真ん中の時期でした。
うちにフランスの大作家モーパッサンの
「女の一生」の文庫本が置いてありました。

真性ひきこもりの私はその本をパラパラと読んでみました。
面白いのですね。それまで小説というものは
教科書に出てくるものしか読んだことがなかったので、
「堅苦しいもの」という印象があり、
「つまらないもの」という見方もあったかもしれないのですが、
そんな偏見を打ち砕く面白さが「女の一生」にはありました。

すっかり、ジャンヌの幸不幸入り乱れた
人生の虜になってしまった私は文庫本の裏ページにある
他の海外文庫本紹介欄に強い関心を持ちました。

あるある、沢山ある、一度は聞いたことのある
大作家陣の錚々たる作品群に興奮を覚えました。
そして、一冊購入します。ドストエフスキーの「罪と罰」でした。
読んだ方も多いと思いますが、面白すぎるのですね。

「こいつら面白い!こいつらを全部読んでやろう!」
と考えるようになりました。1,2日かけて
徐々にとてつもなく高まっていく興奮を抑えるように
自分に言い聞かせて、母に頼む言葉を考えました。

「これとこれとこれを買ってきて」
母は数駅先にある大型書店に行って、
本を沢山買って来てくれました。

「これでこの退屈地獄から抜け出せる」
その頃の私は時間がありすぎて、退屈地獄に陥っていました。
なので、この海外作家文庫本という抜け道は
たまらない時間稼ぎ(やること探し)になりました。

ちょうどバブル最後の時期で、私は日本人嫌いに陥っていました。
話の分かる話せる日本人も大勢いるのに、
私は勝手に日本人なんてクソだらけだと決めつけていて、
何が不幸かって、日本のテレビも映画も本も見ない生活に
陥っていました。

昔の海外作家はジャパンバッシングなんて言葉を知らないだろう、
これで安心して本の世界に没頭できる、入り込める
とこれまた勝手に思い込み、大文豪の世界に浸っていました。

ポー、ハーディ、ジョイス、ドイル、ヘミングウェイ、エトセトラ…、
煌めく小説の王様たちです。

そのうち、自分でもストーリーを書きだすようになりました。
最初は模写ばかりです。自分なりのハーディやジョイスを書くわけですね。
これが(自分の中では)面白いのです。
ひきこもり青年にとっては贅沢すぎる
空想(妄想でもよいです)の世界でした。

現在でもストーリー作りは続けています。
いずれ、ブログでも発表するかもしれません。
その時、下手くそでも笑ってやってください。
「ひきこもり君が一生懸命に書いたんだね」と(^O^)

このひきこもり青(中)年にとって、書籍はなくてはならないものです。
負け犬の人生論も学べる本の世界は
「人生まだまだこれから〜」と思わせてくれる
「人生の師範」となっているのですね。
それも構えて学ぶではなく、
「何気なく楽しめる」から最高なのですね。

「ヘタクソなりの我が人生 それが私流なのです(^^)」
これが万年ひきこもり青年にとって
良い作用が働いているのではないでしょうか。