『与謝野晶子と大和川』・・・前期講座(第6回講義)

(%青点%) 前期講座(2月〜7月:全10回講義)、第6回の報告です。
・日時:5月18日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール・会議室
・演題: 『与謝野晶子と大和川』 
 〜「大和川 砂にわたせる 板橋を・・・」 私考 −夫婦の愛の軌跡−
・講師:黒田 伊彦(くろだ よしひろ)先生(大阪樟蔭女子大学講師)
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(%エンピツ%) 「与謝野晶子」略歴
・明治11年(1878年)大阪府堺市の老舗和菓子屋「駿河屋」の三女として生まれる。
・明治33年(1900年)文芸雑誌『明星』に作品を発表。与謝野鉄幹と出会い、翌年(1901年)上京し、鉄幹と結婚。歌集『みだれ髪』で注目を集める。
・今回の演題に取り上げられている「大和川 砂にわたせる 板橋を・・・」の歌は、明治45年(1912年)晶子34歳、歌集『青海波』に収められている。
・与謝野晶子は、多彩な活動家・・・歌人(5万首もの歌を残す)・詩人・古典研究家(「源氏物語」の現代語訳)・小説/童話/戯曲作家・教育者・評論家
・昭和17年(1942年)5月29日死去
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(%エンピツ%) 講義の内容
「大和川 砂にわたせる 板橋を 遠くおもえと 月見草咲く」
①なぜ「つきみそう」から「つきみぐさ」に改作されたのか
*推敲による改作
 ・思へと → おもへと
 ・月見草(そう) → 月見草(ぐさ)
 ・さく → 咲く
②「大和川砂にわたせる板橋を・・・」の意味
③7人の子育て、死産と苦境の中でのパリ行き(1912年)
④愛の危機克服の原動力
⑤与謝野晶子の大和川の歌の自筆原稿
⑥河井酔茗(1874年〜1965年)の紹介
 ・女性詩人の育成にも努めた堺の人。堺時代の与謝野晶子も酔茗から大きな影響を受けた。