『井真成に思う〜唐帝国の日本人留学生〜』

(%紫点%) 『平城遷都1300年記念特別講座』(4月〜9月・全7回講義)の第二回報告です。
・日 時:5月28日(金)pm1時30分〜3時30分
・場 所:すばるホール(会場:小ホール)
・演 題:「井真成に思う』〜唐帝国の日本人留学生〜
・講 師:原 直樹先生(井真成市民研究会会長)

*「井真成」略歴
699年〜734年
井真成・・・読みは、「いのまなり」「せいしんせい」「いしんせい」と研究者によってまちまちです。
出身・・・朝鮮半島からの渡来系氏族である葛井(ふじい)氏と井上氏という二つの説が主流。葛井氏ゆかりの葛井寺がある大阪府藤井寺市では、井真成は藤井寺出身としています。
・井真成は、717年(養老元年)の第9次遣唐使団の一員として、19歳で留学生として参加したとみられる。同遣唐使団には阿倍仲麻呂や吉備真備、僧玄昉など、後年、内外で活躍する顔ぶれが揃っていた。
・唐に渡った井真成は学問を修め官吏として朝廷に仕えたが、病気のためr36歳で死去したとされる。(唐・第6代皇帝「玄宗」(在位712年〜756年))
・墓誌の発見以降も、井真成の事績はいまだ謎のままです。

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右の写真は、「井真成の墓誌」です。
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(%ノート%) 井真成墓誌について
中国・西安で発見・・・2004年10月中国・西安市(隋・唐時代の首都長安)の郊外で工事中に偶然「井真成墓誌」が発見された。
形状・・・形状は上下二つに分かれ、上部(蓋)には12文字、下部は1辺約40cmの正方形に171字(12行)が刻まれている。
墓誌の抄訳・・・「墓主は、姓は井、字は真成という。生国は日本と号す。生まれつき優秀で、国命で遠くにやってきて、一生懸命努力した。学問を修め、正式な官僚として朝廷に仕え、活躍ぶりは抜きんでていた。ところが思わぬことに急に病気になり、開元22年(734年)1月に官舎で亡くなった。36歳であった。皇帝は大変残念に思い、特別な扱いで埋葬することになった。体は異国の土に埋もれたけれども、魂は故郷に帰ることを願うものである。」
「国は日本と号す」・・・この墓誌に、 「日本」という国号が記されている → 最も古い記録として大きな話題になった。
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(%エンピツ%) 〈講義の内容〉
①井真成墓誌の内容
②「井真成」の出身
③遣唐留学生「井真成」
④墓誌里帰りへの奇跡

(%エンピツ%) 講義の他に、「ビデオ映写」・「絵本(紙芝居)」・「詩吟」のエンターテイメント演出。
「ビデオ映写」・・・2005年(平成17年)12月NHKスペシャル「新シルクロード」の井真成のイメージドラマ。
「絵本(紙芝居)」・・・「とべとベルカ=いのまなりものがたり」(川上 恵さん他3名)
「和歌を詩吟でうたう」・・・辻 紫岳さん(師範)
 ”天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも”(阿倍仲麻呂)

(%紫点%) 原講師は、墓誌の最後にある 「体は異国の地に埋まるが、魂は故郷に帰ることを願う」 という言葉に感銘を受け、井真成市民研究会を発足。