『吉備真備と黒田官兵衛』・・・前期講座(第7回講義)

(%黄点%) 前期講座(2月〜7月:全10回講義)、第7回の報告です。
・日時:6月1日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール・会議室
・演題: 『吉備真備と黒田官兵衛』
・講師:新福 杉夫(しんぷく すぎお)先生 (郷土史家)

右の写真は、吉備真備像(倉敷市真備支所)です。
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(%エンピツ%) 吉備真備の略歴
・生没年・・・695年(持統天皇9年)〜775年(宝亀6年)
・岡山県吉備郡真備町(現在の倉敷市真備町)出身。
・奈良時代(717年)23歳の時、遣唐使として唐に渡る。(阿倍仲麻呂、僧玄昉、井真成なども同行)
・17年に及ぶ留学生活の後、735年(天平17年)帰国した。
唐では、吉備真備は経書、史書を初めとして、天文、歴法、音楽、兵法などを学び、書籍や楽器、弓矢などを持ち帰り、朝廷に献上。
・帰国後は、聖武天皇や光明皇后に寵愛をうけて737年従五位に列する。(阿倍内親王(のちの孝謙天皇)の養育係を担当)
・740年「藤原広嗣の乱」(吉備真備と僧玄昉を除かんとして大宰府で反乱)
・750年、筑前守に左遷
・752年、遣唐副使として、再び、唐に派遣される。753年には帰国。([鑑真]を伴って帰国)。
・帰国後、大宰大弐となり、以後10年を地方で過ごす。
・764年、京に帰任し、藤原仲麻呂の乱に政府軍の参謀として活躍。
・766年右大臣となる。
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右の画像は、「如水居士画像」(崇福寺蔵)です。
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(%エンピツ%) 黒田官兵衛(くろだかんべい)の略歴
・生没年・・・1546年(天文15年)〜1604年(慶長9年)
・黒田孝高(よしたか)(如水・官兵衛)は、戦国時代、安土も野山時代、江戸時代前期にかけての武将。官兵衛は通称。
・官兵衛は、豊臣秀吉の側近として仕え、秀吉の天下平定事業を支えた軍師。
・黒田孝高の祖父・黒田重隆の代に、備前福岡より播磨に入り、大名小寺政職に仕えた。
・1567年(永禄10年)、官兵衛が結婚して、父職隆は隠居。姫路城代家老職を継ぐ。
・1582年(天正10年)備前高松城攻め。本能寺の変。山崎合戦。
・1583年(天正11年)官兵衛の縄張りで大阪築城。賤ヶ岳の戦い。キリスト教の洗礼を受ける。
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(%ノート%) 講義の内容
・新福先生は、姫路生まれ。
・現在、播磨の「黒田武士顕彰会副会長」で、日本舞踊五城流師範。
・郷土歴史の語り部として、「街おこし人づくりを目的に、郷土の歴史を語り歌い舞う」活動をされています。
〈講義の内容〉
①吉備真備の概説
・「天平の星たちの」歌と舞い・・・吉備真備、阿倍仲麻呂、井真成を詠う
②黒田官兵衛の概説
・黒田節の由来
・「黒田節」の歌と舞い