太子町『王陵の谷』を散策する

(%紫点%) 「平城遷都1300年記念特別講座」」の課外ウォーキングとして、”南河内を散策する”(第5回)を9月10日(金)に行いました。
*右の写真は、わが国最初の女帝・推古天皇陵です。
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(%エンピツ%) ”南河内を散策する”(第5回 太子町「王陵の谷」)
・日時:9月10日(金)am8:45〜11時30分
・集合:近鉄長野線「喜志(きし)」駅 8時45分
・天候:晴れ(雲ひとつない青空、しかも、残暑厳しい日でした)
・参加者:20名(女性5名、男性15名)
・ボランティアガイド:佐藤義夫さん
・コース:バス喜志発ーバス山田下車−仏陀寺−推古陵−竹内街道−孝徳陵ー叡福寺(聖徳太子廟) (約5km) (残暑が厳しいため、コースを短縮しました)
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(%ノート%) 『王陵の谷』について
太子町(大阪府南河内郡太子町)は、大阪と奈良の府県境に位置し、磯長谷(しながたに)と呼ばれる細長い山と谷に、5つの陵墓(敏達、用明、推古、孝徳天皇陵と聖徳太子廟)をはじめとする約30基の古墳群が集中していることから『王陵の谷』と呼ばれています。
・推古天皇陵・・・一辺約60mの方墳。最初の女帝である第33代推古天皇とその子、竹田皇子の合葬陵とされています。

・竹内街道・・・大和の飛鳥と難波を結んだ、わが国最初の官道で、飛鳥時代には、大陸文化伝来のルート(シルクロードの終点)として栄え、奈良時代は太子信仰の道、中世は堺と奈良を結ぶ経済の道、江戸時代は伊勢・長谷参詣の道、明治時代には奈良と堺を結ぶ道として栄えました。
・孝徳天皇陵・・・竹内街道沿いにつくられた径30mの円墳。清少納言は枕草子で「うぐいすの陵」と形容し美しい御陵の代表として紹介しています。大和の高松塚出土の海獣葡萄鏡と同じ物が出土しています。

・叡福寺・聖徳太子御廟
*右の写真は、叡福寺にある聖徳太子御廟です。

・『叡福寺』:推古天皇が聖徳太子の墓を守護する香華所として建立されたといわれ、のち聖武天皇の勅願で伽藍が整った。南北朝時代の争乱や信長の兵火にかかって焼失したが、1603年豊臣秀頼の寄進で再建され、堂塔伽藍が整備された。
(思ったより、かなり広い境内です。落ち着いた独特の雰囲気を持っているおすすめのスポットです。)

・『聖徳太子御廟』:叡福寺の北にある径50mの円墳。御廟には、太子と太子の母、太子の妃の棺がおかれて「三骨一廟」と呼ばれています。昔は、石室の中まで入れて見取り図も残されていました。かつては弘法大師をはじめ多くの高僧が廟内で修行したと伝えられている。現在は唐破風のついた門扉で閉ざされています。
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○今回で、”南河内を散策する”は、終了しました。
・第1回(6月11日):富田林市「寺内町」(富田林寺内町ボランティアガイドの会)
・第2回(6月25日):河内長野市「高野街道」(かわちながの観光ボランティアガイド倶楽部)
・第3回(7月9日):大阪狭山市「狭山池」(古代史の会)
・第4回(7月23日):羽曳野市「古市古墳群」(フィールドミュージアムトーク史遊会)
・第5回(9月10日):太子町「王陵の谷」(ボランティアガイド・佐藤義夫)

各ボランティア団体のガイドの皆様、本当にお世話になりました。厚く御礼申し上げます。 (シニア文化塾 事務局 常本知之)