『近鉄長野線の歴史』・・・河陽鉄道について

(%黄点%) 後期講座(9月〜1月:全14回講義)の第5回の講義報告です。
・日時:10月19日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:「近鉄長野線・南海高野線の歴史」〜その①「近鉄長野線(河陽鉄道)について」〜
・講師:松本 弘先生(神戸薬科大学非常勤講師)
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*近畿日本鉄道(近鉄)*
・大阪府・奈良県・京都府・三重県・愛知県の2府3県にまたがる路線網をもつ大手私鉄である。JRグループを除く日本の鉄道事業者(民営鉄道)の中では最長の路線網である。
・近鉄の設立は、1944年(昭和19年)。
河陽鉄道㈱[1896年(明治29年)〜1899年(明治32年)] → 河南鉄道㈱[1899年(明治32年)〜1919年(大正8年)] → 大阪鉄道㈱に改称[1919年(大正8年)〜1943年〈昭和18年)] → 関西急行鉄道㈱ → 近畿鉄道㈱[1944年(昭和19年)〜現在]
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.鉄道以前の状況
2.河陽鉄道株式会社時代
3.河陽・河南鉄道の創立者(出水弥太郎について)

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*「鉄道以前の状況」
・徒歩、人力車、馬車、
「川面(かわづら)の船着場」 (河南郷土史読本」(昭和9年)
”…川面(喜志)は大阪、京都、堺方面との水陸交通上の要衝にあたり、物資の集散、人馬の往来、まことに盛んなものでありました。水路の運搬は大和川から石川を遡ってくる荷物船によるもので…”
「当時の交通事情について」 (大鉄全史)
”…富田林・長野付近の人々が大阪へ出ようとする。朝まだ仄暗いランプの光の下で朝食を済ませ、四、五里の道を歩いて柏原停車場に…正午近くにつく。列車に乗込んで、湊町停車場に着くのは、午後一時頃となる。即ち南河内方面から半日余を費やして、漸く大阪の土を踏むことが出来る というのが当時の有様でした…。”

(日本の鉄道の始まり)
・日本の旅客用鉄道は明治5年(1872年)新橋・横浜間で開業したことにより始まる。
明治7年(1874年)に神戸・大阪間が開通。
・一方、私鉄は、関東では、明治16年(1883年)に日本鉄道(半官半民)が上野・熊谷間で営業。大阪では、明治18年(1885年)に阪堺鉄道㈱が難波・大和川間で開業。
・鉄道の普及により、船旅(水運業)は急速に衰退

*「河陽鉄道株式会社時代」
「明治時代における鉄道建設の機運」
・産業革命の発展と市場確保
・好景気に伴う投機熱
・私鉄経営の採算性
・鉄道が文明開化をもたらす

「富田林・柏原間の鉄道馬車の計画」(明治20年代初め)
・柏原−富田林間は、当初、馬車鉄道で計画されていたが、実現を見なかった

「河陽(かよう)鉄道株式会社創立願」[明治26年〈1893年)]
・”…柏原村より長野村に至る十二哩間に軽便鉄道敷設仕度…”
「河陽鉄道㈱設立」(鉄道施設計画の免許状が下付)[明治29年(1896年)]
明治31年(1898年)3月柏原−古市間 開通。同年4月 古市−富田林間 開通。
・河陽鉄道は、交通の便に難のあった南河内にとって、大阪市街へのアクセスを向上させるだけでなく、高野山などの寺社への参詣者や観光客の誘致をあてこんでいた。
・開業後の地元での河陽鉄道への反応
①鉄道が農村に都会の悪い風習をもたらす。②蒸気機関車の煤煙で沿線に火事をおこすおそれがある。③地価のつり上げ。④当時の交通手段である馬力・人力車組合の反発など。
河陽鉄道㈱の柏原・古市間は、現在の近鉄を構成する路線の中で、最古の歴史を持つ。
・明治32年(1899年)、河陽鉄道㈱は事業不振のため、河南鉄道㈱に引き継がれる。河南鉄道は、明治35年(1902年)に富田林・河内長野間を開通させた。

*「創立者・出水弥太郎」
・南河内郡平尾村(現、堺市美原町)の豪農の出身。
・小学校の算数の先生〈明治5年(1872年)−23歳頃)
・明治25年(1892年)衆議院議員に当選〈内務大臣・品川彌二郎の応援あり。中央政界で活躍)
・出水弥太郎が河陽鉄道㈱の創設に活躍できたのも、品川内相との関係を保ち、中央官界とも通じていたことによるものと思われる。
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(%ノート%) 松本先生のレジメは、B4で19ページ。また、古書などの資料(明治時代の地図・数種類、書籍類、明治時代の時刻表など)の回覧などもあり、現近代史のユニークな講義でした。