(%紫点%) 後期講座(第9回)の講義報告です。
・日時:11月23日(火) am10時〜12時15分 (祝日:勤労感謝の日)
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 大津皇子賜死事件〜万葉集に詠われる悲劇の皇子〜
・講師:辻 孝子先生(古典文学研究家)
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*大津皇子[関係年表]*
・645年・・・大化の改新(○ 中大兄皇子・中臣鎌足 ⇔ ×蘇我蝦夷・入鹿)。クーデターのあと孝徳天皇が即位し、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、皇太子となる。
*天皇を中心とする中央集権的体制の樹立。
・662年…鵜野皇女(持統天皇)、草壁皇子を産む。
・663年…大田皇女、大津皇子(おおつのみこ)を産む。
・667年以前に…大津皇子の母、大田皇女薨去。
・667年…(663年白村江の戦いに大敗。)中大兄皇子は、近江大津宮(おおみのおおつのみや)に遷都し、翌年、正式に即位して天智(てんじ)天皇となる。
・671年…天智天皇崩御
・672年…壬申の乱(皇位継承をめぐる争い:○大海人皇子(天智天皇の弟)⇔×大友皇子(天智天皇の子))
・673年…大海人皇子即位(天武天皇)
・681年…草壁皇子(父:天武天皇、母:鵜野皇女[大田皇女の妹、後の持統天皇])、立太子(20歳)
・683年:大津皇子、朝政に参加。
・686年…9月9日(天武天皇崩御)、皇后称制。9月24日大津皇子謀反企てる。10月2日親友の川島皇子の密告により、謀反発覚。10月3日磐余(いわれ)にある訳語田(おさだ)の自邸で賜死(24歳)。
*【万葉集】は、大津皇子の事件に至る経緯を、歌を中心にした物語で伝えている。
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)と弟・大津皇子(おおつのみこ)の物語
・「我が背子(せこ)を 大和に遣(や)ると さ夜ふけて 暁(あかとき)露に 我(あ)が立ち濡れし」(巻2、105)(大伯皇女)
(対訳:大和に帰る、いとしい人を見送って、夜もふけ、明け方の露にぬれるまでたちつづけた)
*大伯皇女と大津皇子は、実の姉と弟の関係であるが、歌は、まるで恋人を詠んだ歌。
2.大津皇子と草壁皇子の石川郎女(いしかわのいらつめ)をめぐる恋模様
3.大津皇子に関する資料
・『懐風藻』…「大津皇子の人柄は、…容姿大柄で、博覧にして良く文武両道を属す。壮なるにおよびて武を愛し、…多くの人々の信望を集めた」
・『日本書紀』…懐風藻と同じ趣旨で、大津皇子の父・天武天皇崩御後の事件を記している。
4.大津皇子の辞世歌
・「百(もも)つたふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠になむ」(巻3、416)(大津皇子)
(対訳:日常的に見ていた風景が、今日を限りに、終わってしまうのであろうか)
5.大津皇子の賜死後に、姉の大伯皇女が詠んだ歌
・「うつそみの 人なる我(あれ)や 明日(あす)よりは 二上山(ふたかみやま)は 弟(いろせ)と我(あ)が見む」(巻2、165)(大伯皇女)
(対訳:この世に生きている人である私は、明日からは二上山を わが弟と見ようかと嘆く)
6.講義の終わりは、CDによる万葉歌(ソプラノ歌手/作曲家「歌枕(うたまくら)直美」)と辻講師の朗読(折口信夫著「死者の書」より)があり、万葉空間の2時間でした。
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*辻孝子先生からのメッセージ*
《大津皇子の悲劇》…”古今東西の歴史を観るに、NO.2の立場は常に悲劇で終わっているようです。「万葉集」にも、悲運にもその生涯を終えた一人の皇子(大津皇子)の物語が伝えられています。・・・その墓は、大和から見て陽の沈む二上山にあるといいます。”
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*大津皇子の余話*
・大津皇子の墓…二上山の雄岳頂上付近に墓とされる場所がある(宮内庁の比定で「大津皇子二上山墓」とある)。しかし、二上山東麓にある「鳥谷口古墳」が実際の墓であるという説もある。
・大津皇子関連の歌…大津皇子の作ではなく、彼に同情した後人の創作混じりの作であろうとの説がある。