「無常」 〜平家物語の冒頭を読む〜

(%紫点%) 後期講座(H22年9月〜H23年1月:全14回講義)の第12回の講義報告です。
・日時:平成23年1月11日(火)am10時10分〜11時50分
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「無常 〜平家物語の冒頭を読む〜」
・講師: 四重田 陽美(よえだ はるみ)先生(大阪大谷大学短期大学部 教授)
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*平家物語[時代背景年表]*
・(武士の台頭)
935年〜941年:承平・天慶の乱(平将門の乱・藤原純友の乱)
1016年:藤原道長、摂政となる(摂関政治の全盛)
1051年〜:前九年の役
1083年〜:後三年の役
・(院政政治)
1086年:白河上皇が院政を始める
1156年:保元の乱
・(平氏政権誕生)
1159年:平治の乱
・(源平の争乱)
1185年:壇の浦の戦いで、平氏滅亡

*平清盛[関係年表]*
・1118年:平忠盛(ただもり)の嫡男として生誕
・1153年:(36歳)父忠盛の死後、平家一門を率いる(武門棟梁)
・1156年:(39歳)保元の乱
・1159年:(42歳)平治の乱
・1167年:(50歳)太政大臣
・1168年:(51歳)出家
・1181年:(64歳)逝去
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.「平家物語」について
・「成立…未詳」
(平家滅亡から40年〜50年後〈1230年頃)に書かれたと思われる。当時の平均寿命が約50歳。源平の争乱に関わった人にかなり情報収集している。)
・「作者…未詳」
・琵琶法師について
(平家物語を語ることにより、視覚障がい者の生活の糧。各地を回り、2人がペアで、全盲の人が語り、一人が身の回りの世話をしていた。)
・平家について
・平家の略系図
(桓武天皇ー葛原親王−高見王ー高望王−国香ー○−○−○ー正盛ー忠盛ー清盛)

2.無常観
・中国から来た思想。「国破れて山河あり…」
・常=同じ状態でありつづける
・無常…同じ状態でありつづけることは無い=形あるものは必ず滅びる
(方丈記「行く川の流れは絶えずしてもとの水にあらず…」)
・無常観は、「武士の時代」に確立

3.「語り本」と「読み本」
・語り本 → 「覚一本」など
・読み本 → 「増補系諸本」
 
4.冒頭
祇園精舎
[祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。・・・・・・・・・偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の超高、漢の王莽、・・・・・・・・・久からずして、亡じにし者どもなり。近く本朝をうかがうに、承平の将門、天慶の純友、・・・・・・・・・まぢかくは、六波羅の入道前太政大臣朝臣清盛公と申し人のありさま、伝承るこそ心も詞も及ばれぬ。]

・四重田先生の註訳により、”有名な書き出し”に、引き込まれていきました。
(例えば)→冒頭の書き出しは、”無いものと有るものとをいり混ぜています”
「祇園精舎(ンドにある寺院)」(無いもの) ⇔ 「鐘の音」(有るもの)
「沙羅双樹(伝説の木)」(無いもの) ⇔ 「花の色」(有るもの)

5.〜清盛の父 忠盛のこと〜
殿上闇打(てんじやうのやみうち)
[忠盛備前守たりし時、鳥羽院の御願得長寿院を造進して、三十三間の御堂をたて、一千一体の御仏を据え奉る。・・・・・・・。鳥羽上皇は、なお感動のあまり、忠盛は、内裏の清涼殿への昇殿を許された。]

・清盛の父”忠盛”の活躍(昇殿) → 清盛が権力を拡大できる大きな要因になっている。
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四重田先生は、1時間半、休憩なしで、「無常観、冒頭の名文、清盛の父(忠盛)」について、天皇−上皇−院の関係などの解説をおりまぜながら、冒頭の流麗な名文を読んで、対訳もあり、物語に引き込まれていった熱い講義でした。
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*四重田陽美先生からのメッセージ*
「現在、大学では、日本語表現演習という講義で、学生たちに、日本語で自己表現することを教えたり、現代教養講座Ⅰ(文学)で、源氏物語や平家物語を購読したりしています。 誰かを愛した時に、その人にどれだけ尽くしてもらうかを考えるのではなく、その人のためにどれだけ尽くせるかを考えること、あるいは、どういう死に方をすることがよく生きたといえるのことになるかをかんがえること、など、今の日本には少し薄れている古典の中の日本人を語り合っています。