(%緑点%) 前期講座(歴史コース:全15回講義)の第6回の講義報告です。
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*(右の写真)中尾先生が持参されたカンボジアの国旗には、国の象徴としてアンコール・ワットが描かれています。
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・日時:4月26日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「アンコール遺跡」−その調査と保存修復−
・講師: 中尾 芳治先生(元帝塚山学院大学教授)
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*[カンボジア」 …インドシナ半島に位置し、ベトナム・タイ・ラオスと国境を接し、南は南シナ海に接する。大河メコン川が流れ、この国の中央付近にはトレサップ湖があり、その北方にはアンコール・ワットなどのアンコール遺跡がある。
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(%エンピツ%) 講義の内容
Ⅰ.カンボジアの歩み
[1〜7世紀]
・1世紀…最古のクメール系の王国ブナム(扶南)がメコン川下流に興隆
・6世紀中頃…チェンラ(真朧)国の独立
・7世紀中頃…チェンラがブナムを滅ぼし、クメール族を統一
[9〜11世紀]アンコール王朝興隆期
・ヤショヴァルマン1世(889〜910)…第1次アンコ−ル都城
[12〜13世紀]アンコール王朝最盛期
・ スールヤヴァルマン2世 (1113〜1150年)…アンコール・ワットの建設
・ シャヤヴァルマン7世(1181年〜1218年)…アンコール・トムの建設
[1431年]シャムの侵攻によりアンコール王朝陥落
[19世紀]フランスの保護国となり、仏領インドシナ連邦に編入
[1953年:カンボジア王国独立→1975年:ポル・ポト政権、1979年:ヘン・サムリン政権、1991年:パリ和平協定調印、1993年:カンボジア王国発足]
Ⅱ.アンコール遺跡群保存の歴史
・1860年:フランス人博物学者アンリ・ムオーが、アンコール遺跡を調査し、ヨーロッパに紹介
・1900年:「フランス極東学院(EFEO)」、ハノイに設立。
(アンコール遺跡保存について、EFEOの貢献は大きい)
・1980年:「上智大学アンコール国際調査団」、調査開始
・1993年:アンコール遺跡救済国際会議(東京)…日本が主導して開催し、「東京宣言」採択
・1994年:外務省「日本国アンコール遺跡救済チーム(JSA)」調査開始
Ⅲ.カンボジアの保護体制整備
・1994年:文化財保護関係法令整備…日本の法律家などが協力
・1995年:アンコール遺跡群、 「世界文化遺産」に登録。APSARA(アンコール地区遺跡保護地域開発機構)発足
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○ビデオ観賞
・約20数分のビデオ(VHS)で「アンコール遺跡」の紹介
「アンコール・ワット(中央塔、回廊など)」、「アンコール・トム」、「トレサップ湖」、「バライ(貯水池)」、「デバター(女神像)」、「ヒンドゥー教、仏教」etc.
・中尾先生は、1991年から「上智大学アンコール遺跡国際調査団」に協力されています
・(著書)
『アンコール・ワットの解明』(全4巻)石澤良昭監修 連合出版
−第1巻 中尾芳治編著「アンコール遺跡の考古学」2000年
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*右の写真は、アンコール・ワットです。(「カンボジア」のウィキペディアより)
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*アンコ−ル遺跡について*
(1)アンコール・ワットによせるカンボジア人の思い
・ ”国の象徴であり、誇りです” 、 ”私の命です”
(2)遺跡の保存修復に関する各国の考え方
・フランスが現在の姿に復元した貢献は大きい(当初における遺跡の保存に関する資料は、全て仏語 → アンコール遺跡の保存に携わるには仏語は必須)
・各国(フランス、アメリカ、インド、中国、日本など)は、1年に2回会議をして、遺跡の保存修復について情報公開している。
・日本の考え方…「調査をして、創建時代の修復方法で行なう」(現代の手法では修復しない)。「将来調査や修復に携わる人材を育成する。→ カンボジアの人たちが、自分たちの力でやれるように若い人を育てる」
(3)カンボジアに対する日本の三つの波
①17世紀前半【1632年森本右近太夫・アンコ−ル・ワット参詣(当時、アンコール・ワット=祇園精舎(仏教の聖地)と思われていた)。朱印貿易(16世紀末から17世紀初頭ー東南アジアとの交易)、日本人町(カンボジアのプノンペン、シャムのアユタヤなど)】
②大東亜戦争(仏領インドシナ進駐)
③現在の多くの観光客
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*今回は、「アンコール遺跡」(その①)で、カンボジアの歩み、アンコール遺跡の保存修復の概要とビデオでの紹介。次回、後期講座(9月〜1月)で「アンコール遺跡」(その②)の講義を予定しています。