『楠木正成と元弘動乱』

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)(3月〜7月、全15回講義)の第7回の講義報告です。
・日時:5月10日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:「楠木正成と元弘動乱」 〜『太平記』の虚実を問う〜
・講師:堀内 和明先生(河内長野市文化財専門委員)
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*太平記*
・全40巻で、南北朝時代を舞台に、約50年間[1318年(文保2年)〜1368年(貞治6年)]を書く軍記物語。
・正中の変(1324年〉…後醍醐の討幕の計画が発覚し、側近数名が流罪。
・元弘の変(1331年)…後醍醐の再度の討幕がバレて、挙兵するが失敗。天皇は隠岐(島根)に流される
・元弘動乱については、巻3〜巻9(7巻)で書かれており、かなり重要視していたことがうかがえる。
・1332年…各地で討幕挙兵。楠木正成の奮戦、足利高氏[六波羅探題(京都における幕府の政務機関)を倒す]・新田義貞[鎌倉の北条一族を滅ぼす]
・楠木正成(まさしげ)(?〜1336年)・正行(まさつら)の親子は、「太平記」で好意的に描かれている。(正成の天皇への忠義、正行の母への孝心)
・後醍醐天皇(1288〜1339年)

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(%エンピツ%) 講義の内容・・・“太平記の虚実”
1.「楠木正成」って何者?
もっとも正しき日本人…戦前は、後醍醐天皇に最後まで忠実に命をささげた 「忠君愛国」の鏡 とされた。(国威発揚に利用された)
②戦後は一転して、「散所(さんじょ)長者」 (本所にたいする散在所−中世で、手工業や交通などの雑役に服した民・地域での長者の意)③ 「悪党」 (中世特有の言葉−アウトサイダー・ゲリラ戦)の代表として位置づけられた。
④その出自は?…不明であるが、堀内講師は、”関東地方”の出身説(河内国の出身ではない)。
2.「南北朝内乱」はいつから?
①延元元年(1336年)12月:後醍醐の吉野潜幸 ← 一般的には、1336年、後醍醐天皇の吉野潜幸により天皇王朝が分裂してから1392年に両王朝が合一するまでの時代を”南北朝時代”という。
②元弘元年(1331年)8月下旬:笠置合戦”元弘の変” ← 堀内講師は、この年から”南北朝時代の始まり”
3.「元弘動乱」は、いつ、どこで?
①元弘元年(1331年)8/27〜9/28 笠置合戦で! ← 一般的には、元弘元年8月に後醍醐天皇は山城国笠置山で挙兵した。護良親王(後醍醐の皇子)や河内国の悪党楠木正成もこれに呼応してそれぞれ大和国の吉野および河内国の赤坂城で挙兵。(「太平記})
②元徳三年(1331年)2月末「悪党楠兵衛尉」和泉国若松庄に打入!→河内国石川・錦部郡で「元弘元年春のとうらん(動乱)」 ←堀内講師は、この2月末・春、「元弘動乱」の始まり「天龍寺文書」 「観心寺文書」 )

4.「楠木合戦」の展開
・1331年(元弘元年)・・・後醍醐の笠置へ(8月)→楠木正成、下赤坂で挙兵(9月)
☆下赤坂合戦(1331年10/14〜21)( 「和田文書」
 −下赤坂城落城→湯浅一党の赤坂入城(「太平記」)
☆上赤坂合戦(1333年2/2〜22)( 「楠木合戦注文」 、「和田・松尾寺文書」など)
 −上赤坂落城(2/22)
5.千早合戦は「100日戦争」か
①上赤坂落城後→元弘三年(1333年)2月下旬〜5月上旬
②1333年2月上旬、吉野・赤坂・千早で同時多発蜂起 → 六波羅陥落(5/7)
・この年は閏年なので、閏2月、3月、4月、5月上旬で約100日間となる
・「太平記」の日付には、混乱が見られる箇所がある
・また、「太平記」の数字には、オーバーな数字が見られる
−幕軍100万!?(実際は約10万か)
6.反六波羅・討幕運動の主役は?
①後醍醐天皇
②足利高氏の宮方転身
③楠木党(摂河泉の悪党勢力の結集)と赤松党(赤松円心、京都打入)の連携作戦←大塔宮とその近臣

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《楠木正成と中世史について》
・受講生の大半が南河内に住み、すぐ近くには千早・赤坂があり、「楠木正成」は是非とも講座に取り入れたいテーマでした。しかし、戦前の皇国史観の影響がいまだに強く、日本の中世史の研究者が少ないこともあり、1年以上、講師を探していました。
・昨年、河内長野市在住の受講生より、堀内和明先生を紹介していただき、やっとのことで、今日の講義のはこびとなりました。
・堀内先生は、立命館大学(歴史学者・林屋辰三郎氏に学ぶ)を卒業後、高校の教師を経られて、現在、河内長野市文化財専門委員をされています。研究テーマは、「中世の河内・和泉地域の郷土史」、「楠木一族と悪党」、「高野参詣記」、「中世の武士団と荘園」などです。
・今回の講義では、「郷土の資料」から「太平記」の虚実を研究された堀内先生独自の見解が取り入れられていました。
・南北朝時代より豊臣氏に至る270有余年の間は、争乱が続き、平和は長く続きませんでした。−(ある面では、国民が元気で活発な時代で、歴史史実は錯雑し紛糾極まりない時代です。また、この時代を説明する史料が比較的に乏しく、その研究には多大の努力が必要です。)−。…今までの、古代史・奈良/平安時代、戦国・江戸時代に、中世史や現近代史も講座に取り入れたいと思っています。