『笠井先生と古市古墳群を探索する』

(%黄点%) ”文化塾ウォーキング”(平成23年度第3回)を6月3日(金)に行ないました。
*右の写真は、笠井先生のガイドで、誉田山(応神陵)古墳を見学しているところです。墳丘長425m、後円部の直径250m、前方部の幅330mで、幅60〜80mの濠を持ち、5世紀前半に造られ、仁徳陵古墳に次ぐ全国第2位の巨大な前方後円墳です。
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『笠井敏光先生と古市古墳群を探索する』.
・日時:6月3日(金)am10時〜pm3時半
・集合場所:近鉄道明寺駅10時
[コース]:近鉄道明寺駅−道明寺天満宮−道明寺−仲津姫陵−古室山古墳−大鳥塚古墳−応神陵−誉田八幡宮−墓山古墳−翠鳥園遺跡公園−古市大溝跡−峯ヶ塚古墳−日本武尊白鳥陵古墳−近鉄古市駅pm3時30分。約10km
参加者:22名(女性9名、男性13名)
・古墳のガイド:笠井敏光先生
・スタッフ:佐藤義夫リーダ、置田、小宮山、常本
(%くもり%):天候は、曇り時々晴れで、今回も”ウォーキング日和”になりました。

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(%ノート%) 道明寺天満宮・道明寺
*右は道明寺天満宮の入口で、「土師窯跡」の石碑があります。
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・道明寺と道明寺天満宮は、古代、当地に集住した土師(はじ)氏の氏寺(土師寺)と氏神(土師神社)の関係に発するといわれており、明治初年の神仏分離までは同じ境内にありました。
・土師氏は窯業、墳墓造りなどの土木事業を生業とした一族
・「道明寺天満宮」…土師氏の氏神として成立し、のちに土師氏の子孫でつながりの深い菅原道真公を祭神に加え天満宮として成立しました。道真は、大宰府に左遷される途中に、当地に立ち寄り、叔母の覚寿尼との別れを惜しんだと言われています。また、神社境内に三ツ塚古墳で出土した古代の運搬具「修羅(しゅら)」の復元品や梅の名所としても知られています。
・「道明寺」…7世紀中葉に土師氏の氏寺として建立された土師寺を起源としています。本尊の十一面観音立像は国宝で、毎月18日と25日に拝観することができます。
【菅原道真】(845〜903年)
・平安前期の貴族・文人・政治家(道明は、道長の「号」)
・宇多天皇(在位887〜897年)に重用
・遣唐使の停止(894年)
・醍醐天皇(在位897年〜930年):菅原道真(右大臣)、藤原時平(左大臣)
・延喜1年(901年):時平の讒言により道真、大宰権師に左遷。903年に現地で没した。

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(%ノート%) 古室山古墳
*古室山古墳の墳丘に登って、周辺を眺めているところです。
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・「古室山(こむろやま)古墳」:墳丘長150mで、出土した埴輪から4世紀後半に築造された前方後円墳です。台地の高所に位置するため、眺展は随一です。春には梅と桜の名所としても親しまれています。
・古墳の墳丘に登って、”前方部と後円部の高さはどちらが高いか”、”後円部から屈んで前方部を眺める”、”周辺に落ちている土器のカケラを手に採って埴輪の破片ではないか”…など、考古学調査の一端を知ることができました。

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(%ノート%) 誉田八幡宮
*宮司さんから、誉田八幡宮の由来などの説明をしていただき、お世話になりました。
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「誉田(こんだ)八幡宮」
・応神陵古墳のすぐ南に鎮座し、主祭神は応神天皇、仲哀天皇、神宮皇后です。
・571年、欽明天皇の勅命で応神陵の前に設けられた日本最古といわれる八幡宮。
・現在の本殿、拝殿は、慶長11年(1606年)に再建されたもの。拝観庫には、源頼朝の寄進の神輿など国宝・重要文化財が数多くおさめられています。
・もとは応神陵の頂きに社殿があり、墳丘上まで参詣が可能でした。
・鎌倉時代以降の各将軍の厚い崇信と一般民衆の崇敬をうけています。
・「誉田古戦場」⇒南北朝時代、室町時代、戦国時代と3回も戦場になっています。
・9月15日の秋祭りは必見。神輿が応神陵に渡御する「お渡り」の儀式が行われます。

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(%ノート%) 日本武尊白鳥陵
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・「日本武尊(やまとたけるのみこと)白鳥陵(はくちょうりょう)古墳」
・日本武尊の陵墓との伝承があります。
・墳丘長200m、後円部の直径106m、前方部の幅165mで、幅40〜80mの濠を持つ前方後円墳で、5世紀後半頃に築造されたと考えられます。
・「古事記」や「日本書紀」には、「日本武尊が伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり、白鳥となって大和(やまと)の琴弾原(ことびきはら)を経由して古市に飛来し、その後、埴生野(はにゅうの)を天に向かって羽を曳くように飛び去った」という白鳥伝説があり、羽曳野市(はびきのし)の名前の由来となっています。