『弥生文化の系譜』

(%緑点%) 前期講座(歴史コース:全15回講義)の第10回の講義報告です。
・日時:6月21日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市) 
・演題: 「弥生文化の系譜」
・講師: 笠井 敏光先生(文化プロデューサー)
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*講義を振り返る*
○4月5日: 「人類の誕生」 (笠井講師)
・ヒトの特長(二足歩行、器用な手、両眼視、大きな脳)
・類人猿との分化(500〜800万年前)
・猿人→原人→旧人→新人(4〜1万年前 クロマニヨン人)
・自然環境(温暖化) (1万年前にできた日本列島)
・縄文人と弥生人
○5月24日: 「新しい縄文時代像」 (笠井講師)
・縄文時代…今から約1万3000年前から約3000年前の約1万年
・縄文文化の変革[①弓矢の出現 ②土器の発明 ③漁撈の開始]
・縄文人は狩猟・漁撈・採集を1年の中に巧みに割りふり、安定した食生活を送っていた
・三内丸山遺跡(青森市)…約1500年の長期間にわたって定住生活が営まれていた
・縄文時代は 「熟成した時代」であった。
・ 縄文時代・江戸時代が評価されてきている ・・・停滞ではなく、「熟成の時代」があるから、成長(進歩)する時代が短期間で立ちあがる。
【縄文時代(採集、熟成の時代)→弥生・古墳時代(農耕、王権)】
【江戸時代(鎖国であったが、文化は熟成の時代)→明治・大正・昭和(急成長、短期間で近代化)】

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(%エンピツ%) 講義の内容
1.“弥生時代”と聞いて、何を連想しますか?
*受講生よりいろいろ出てきました・・・
「土器」、「金印」、「卑弥呼」、「銅鐸」、「鉄」、「環濠集落」、「祭祀」、「青銅器」、「争い」、「共同作業」、「弥生町」、「勾玉」、「池上曾根遺跡」、「通交(中国)」、「魏志倭人伝」、「高地性集落」、「建築物」、「邪馬台国」、「文字」、「政治組織」など
2.文化の系譜(右の資料を参照してください。)
・「九州」⇒ 「大陸の影響」が大きい
・中国・近畿⇒ 「縄文の伝統」・「大陸の影響」・「固有の発達」のバランスがよい
・東国 ⇒「縄文の伝統」が大きく、「大陸の影響」が小さい

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3.弥生時代の主題
(1) 『農耕』
・陸稲(縄文時代からある)
・水稲農耕⇒[水利、共同作業]→調整する人(リーダー)<(首長→王)>
・”調整する能力”と”再生産できる土地”
(2) 『金属器』
・青銅器と鉄器は、ほぼ同じ時期に中国から朝鮮半島を経て、日本に伝わった
(日本では作られなかった。材料も中国・韓国からもってきていると思われる)
・銅(やわらかい)[祭器ー鏡・銅鐸・銅諠]
・鉄(かたい)[利器−刀・剣]
(3)『 争い(戦争)』
・石鏃(やじり)(縄文時代:2〜3g→狩の道具)、(弥生時代:4〜6g→人を殺す道具)
・溝…区画をする
・環濠集落と高地性集落

*右の図が弥生文化に特徴的な「環濠集落」です。
・住居群を濠で囲んだ集落で、楕円形(マル形)です。⇔ 中国では四角の区域
・マル(○)と四角(□)……マルは包括的で、四角は排他的
・弥生時代中期頃から四角の建築物(首長の居館)が出てきます→首長は特別(弥生時代の終末期)⇒古墳時代
「好戦的なのは、狩猟民族か? 農耕民族か?」
・当日、出席者(60名)のうち、[狩猟民族が好戦的…約60%]、[農耕民族が好戦的…約40%]でした。
・正解は、「農耕民族の方が好戦的」です。
・農耕民族は、「守るべきもの(土地)がある」。狩猟民族は、「共同で獲ったものを平等で分配する」
*進歩は、戦争がキッカケとなっている。考古学的にみれば、戦争にかかわる道具をみれば、時代区分の判別(そのときの最先端なもの)が可能となる。(例)コンピュータは、ミサイル弾道計算の必要性から開発が始まる。

4.日本の古代文明について
【旧石器時代】(謎の多い時代。日本では縄文時代以前の時代を旧石器時代と呼ぶことが定着している。動物を捕らえる道具として、また、捕らえた動物を解体する道具として発達したのは石器)
【縄文時代】(1万3000年前〜3000年前)(狩猟・採集中心の生活)(土器・弓矢などの発明)
【弥生時代】(3000年前〜AD3世紀)(食料採集から食糧生産に移行)(水稲稲作・青銅器・鉄器・墓制)
【古墳時代】(AD3世紀〜)(王権)

・世界史の中での古代文明は、 「採集」「農耕」「王権」の三つの段階が必ずあります。
・三内丸山遺跡は、採集段階だけであり、古代文明とはいえません。
・日本列島は、食料採集段階が異常に長かった。水田稲作が始まると、環濠集落・墳丘墓がまもなく出現。やがて、王権が成立し、最古の王墓が姿を現わす。その間は約600年、弥生〜古墳時代はまさに日本歴史における「古代化」が急速に進んだ時代であった。