『万葉空間』・・・柿本人麻呂

(%紫点%) 後期講座(文学・文芸コース)の第1回講義の報告です。
・日時:9月8日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「万葉空間」(1)〜万葉集の世界に遊んで見ませんか〜
・講師: 辻 孝子先生(カルチャー講師)
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○今日は、後期講座(文学・文芸コース)の開講日です。
・期 間:9月〜1月
・開催日:木曜日 午後1時半〜3時半
講義数:全15回講義
「古典」−(万葉集)5講義、(源氏物語)1講義、(竹取物語)1講義
「中世・江戸文学」−(江の時代/流行歌謡)1講義、(上田秋成)1講義
「近世文学」−(石上露子)1講義、(谷崎潤一郎)1講義
「朗読」−(絵本/詩/小説)3講義
「文芸」−(上方芸能)1講義

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(%エンピツ%) 講義の内容
1.万葉人の季節感
(1)二十四節気
・「白露(はくろ)」(9/8):草木に降りた露が白く見えること。早朝の気温が下がり、露が降り始めるころ。秋の気配が濃くなってきた。
☆(1597) 「秋野の野に 咲ける秋萩 秋風に靡ける上に 秋の露置けり」(大伴家持)
・「重陽」(9/9)
・「満月」(9/12)(旧 8/15)
(2)「朝顔」について
・万葉集に歌われている「朝顔」は、現在の”アサガオ”ではなく、「桔梗(キキョウ)」または「木槿(ムクゲ)」を指すと考えられている。
☆ 「朝顔は 朝露負いて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけり」(作者不詳)
・秋の七草
☆「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなえし また藤袴 朝顔の花」(山上憶良)
(旋頭歌(せどうか)−五七七 五七七)

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*右は、「図説・万葉集」(坂本勝監修、青春出版社2006年発行)より抜粋した柿本人麻呂像と生涯年表です。
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2.柿本人麻呂
[今日の教材は、「近鉄ニュース2011年8月号・9月号−歴史街道(人間往来)柿本人麻呂」(文・中西 進先生)を使用しています。]
○柿本人麻呂(7世紀後半〜8世紀初)について
・「万葉集」を代表する飛鳥・藤原京時代の歌人。「歌聖」とよばれ、称えられている。
・万葉集には、宮廷歌人として詠んだ皇室への讃歌、行幸に従ったときの歌、皇子・皇女の挽歌(追悼)、恋(男女の情)や旅の歌などをうたった長・短歌88首。
・歌の内容から皇族の身近に仕える立場だったことがうかがえるが、その名は「日本書紀」など正史には見えず、官位は低かったと考えられている。
・謎に包まれた人物とはいえ、質量とも他を圧倒する人麻呂です。
3.宮廷歌人としての地位を獲得
・藤原京に遷都(694年(持統天皇))
・柿本人麻呂は持統天皇の治世下で歌人として最盛期を送る。
・人麻呂の歌には、国家が新たに伸長していく気息がこめられています。

☆(巻1-52) 「藤原宮の御井(みい)の歌」 (藤原京の誕生・宮廷讃美を歌っている)
(長歌)「やすみしし わご大君 高照らす 日の皇子 あらたへの 藤井が原に 大御門 ・・・香具山は・・・畝傍の・・・耳成の・・・高知るや 天の御蔭 ・・・御井の清水」(作者不詳)
*CDで上記の長歌を聴きました(ソプラノ歌手・歌枕直美さん)・・・すばらしい万葉の歌が教室内に澄みわたりました。

【柿本人麻呂、宮廷歌人・廷臣としての歌】
☆(巻2-169) 「あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜(よ)渡る月の 隠(かく)らく惜しも」 (柿本人麻呂)←日並(草壁)皇子の亡くなった時の挽歌
・対訳 【あかねさす天つ日は照り輝いているけれど、ぬばたまの夜空を渡る月の隠れて見えぬことの悲しさよ】*あかねさす:日の枕詞
・草壁皇子(父・天武天皇、母・持統天皇)⇒皇位につくことなく薨去(689年/28歳)
・天武天皇−持統天皇−(草壁皇子)−軽皇子(かるのみこ)(文武天皇)
・人麻呂は、高市皇子の喪の折にも挽歌(万葉集・巻2-199〜202)。…高市皇子(たけちのみこ)(天武天皇の皇子(長男)。686年持統天皇が即位すると、太政大臣となる。696年薨去。

☆(巻1-48)「東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへリ見すれば 月西渡(かたぶき)ぬ」 (柿本人麻呂)←軽皇子(のちの文武天皇)に従って、大宇陀の安騎野に出かけた時の歌(夜明けの雄大な情景いきいきと今に伝える歌)
・対訳 【東の空から曙光が差し込み、振り返ると西の空には月が傾いて、夜明けの到来を告げている】
・このうたは、軽皇子(かるのみこ)が10歳当時、安騎野(奈良県宇陀市)付近の地で、狩猟が行われた際に詠まれた歌。
・安騎野は、かつて草壁皇子(軽皇子の父)が訪れた思い出の聖地である。
・旅宿りの翌朝、夜明けとともに新生する太陽、その日の出を見守りつつ西の空に沈んでゆく月の対比は、草壁から軽へと受け継がれる人々の期待を象徴するような光景。
・この歌の特徴⇒人麻呂は、日と対照的に西方に移動する月を歌いこんだ。ふつうは日・月は昼夜を分けるもので、共存はしないのに。以後、日本の芸術には「日月図」が登場してくる。
●人麻呂は、なぜ大宇陀の安騎野(あきの)に行ったのか
・大和の王家にとっては、安騎野は東の境界になるところ。この東端の地まで、王権は統治の力を示す必要があった。(天子の巡狩(じゅんしゅ)…示威のため領土を廻ること)
・この時代、狩猟は単なる遊興ではなく、領土を廻ることであり、また、皇子の子供から大人になるための成年式儀礼の意味ももっていた。
●「かぎろいの丘」・万葉公園
・奈良県大宇陀郡大宇陀町
・「かぎろひを観る会」(万葉公園−陰暦11月17日)

☆(巻1-49) 「日並(ひなみし)の 皇子の命(みこと)の 馬並(な)めて 御猟(みかり)立たしし 時は来向(きむ)かふ 」 (柿本人麻呂)
・日並皇子(草壁皇子)がつぎの王となるべきわが子(軽皇子)の前に現れるときが、いま刻々とせまる。→安騎野は草壁皇子の墳墓の地ではないが、縁(ゆかり)の地として旅宿りの一夜をすごし、夜明けに戻ってくる草壁皇子生前の姿を待望して詠んだ歌。
・対訳 【草壁皇子さまが馬を勢揃いして狩猟に踏み立たれたその時刻は、今まさに到来した】

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(%ノート%)文学・文芸コースの次回講義(案内)
・日時:9月22日(木)午後1時半〜3時半
・演題: 「江(ごう)の時代の流行歌謡」
・講師: 小野 恭靖(おの みつやす)先生(大阪教育大学教育学部教授)