『三輪山の神話と古代史』〜丹塗矢伝説〜

(%緑点%) 後期講座(歴史コース)の第2回講義の報告です。
・日時:9月13日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「三輪山の神話と古代史(二)」〜丹塗矢に化した神と交わった女の物語〜
・講師: 平林 章仁 先生(龍谷大学文学部教授)
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*右は、講師:平林章仁先生の著書「三輪山の古代史」(2000年、白水社)です。
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[参考資料]
「古事記」
【天武天皇がふたつの歴史書の編纂を命じた…「古事記」、「日本書紀」】
・和銅五年(712年)に完成。(29年の誦習と4ヶ月の編纂作業。全3巻)
・稗田阿礼が語り伝えた「帝紀」、「旧辞」を太安万侶が編纂。表記は日本語の文脈を活かした変体漢文。
・内容は”天皇家の私史”で、収録年代は”天地開闢(かいびゃく)から推古天皇まで”。
「日本書紀」
・養老四年(720年)に完成。(40年の歳月と多くの編纂者の手を経て全30巻が完成)
・舎人親王らが編纂。表記は漢文。
・内容は”律令国家の正史”で、収録年代は”天地開闢から持統天皇まで”。
「風土記」
・奈良時代初期の官撰の地誌。
・「出雲風土記」がほぼ完本で残り、「播磨」、「肥前」、「常陸」、「豊後」の風土記が一部欠損残る。
★三輪山の神
・大神大物主神社(おおみわおおものぬしじんじゃ)(奈良県桜井市)…大物主神を祭る大神神社は、三輪山自体が御神体で、神社には本殿はなく、拝殿奥の三ツ鳥居という独特の形をした鳥居を通して三輪山を拝します。江戸時代までは、お留山(おとめやま)として、一般の人が入山できませんでした。
・三輪山の山麓には、山の辺の道が通り、「纏向(まきむく)遺跡」が広がり、その中に「箸墓古墳」(古墳時代前期/全長280mの前方後円墳)があります。

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(%エンピツ%) 講義の内容
1.三輪山の神婚神話について(四つの伝説)
(一)苧環(おだまき)型神婚神話〜麻糸で結ばれた神と女の物語〜
・「夜毎に女性のもとを訪れる男の正身が、彼の衣の裾に縫いつけた麻糸を辿ることによって、三輪山の神であることをが明らかになった。」(前期講座・3月22日の講義)
(二)丹塗矢(にぬりや)型神婚神話…今日(9/13)の講義
・丹塗矢とは…赤く塗った矢で、魔除けの効果がある。(現在の「破魔矢」につながります。)
(三)箸墓型神婚神話〜箸で死亡した女と墓〜(来年に講義の予定)
(四)蜂に捕まった三輪山の神
*[神婚神話]
古代の神話伝承が、歴史的事実を述べたものではないが、背景には、古代の人々の神々への信仰やそれと結びついた祭祀・儀礼が存在した。

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*右の資料は、講義のレジメの(一部)です。
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2.「古事記」神武天皇段の丹塗矢型三輪山神婚譚
「故、日向に座しし時・・・。更に大后を為む美人(をとめ)を求ぎたまいし時・・・三島溝咋(みしまみぞくひ)の女(おとめ)・・・美和(みわ)の大物主神、見感(みめ)でて、その美人の大便(くそ)為れる時、丹塗矢(にぬりや)に化(な)りて・・・。其の矢をもちきて、床の邊(べ)に置けば、忽ちに麗しき壮夫(おとこ)になりて、即ちその美人を娶(めと)して生める子・・・」
(概説):《神武天皇は、既に日向にアラヒメという妻をもち、ふたりの御子がいたが、即位した後、大后にすべき女性を見出し結婚を遂げた話。⇒三輪山の大物主神が丹塗矢に化し、溝を流れて用便中のセヤダタラヒメに近づき、のちに美男子に姿を変えて、ヒメと結ばれたという話》
・その目的は、神武天皇の大后が三輪山の神の御子であることを示すことであった。
・厠(かわや)…引き込んだ川水や溝の上につくられていた。ゆえに厠(川屋)というが、いわば古式水洗便所。

3.「山城国風土記」(逸文)の丹塗矢型賀茂神婚譚
「・・・玉依日賣(たまよりひえめ)・・・川遊びせし時、丹塗矢、川上より流れ下りき。・・・遂に孕みて男子(おのこ)を生みき。.・・・丹塗矢は、乙訓(おとくに)の郡の社にいませる火雷神(ほのいかつちのかみ)なり。」
(概説):《山城の賀茂氏の祖神・賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)とと丹波国神野(かみの)のイカコヤヒメの間に生まれた玉依日売が、丹塗矢と化して流れきた火雷神と結ばれて生れたのが、可茂別雷命(かもわけいかつちのみこと)であるという》
・京都の上賀茂神社、下鴨神社にも丹塗矢伝説があり、周辺には葛城地方と共通する地名も多い。
・逸文…散逸して伝わらぬ、また、一部分のみ残存する文章をいい、一国のまとまった風土記としては残っていないが、諸書に引用された逸文が百十条ある。

4.「日本書紀」神代紀第八段一書第六の物語
「一書(あるふみ)に曰く・・・時に、神(あや)しき光海に照らして、忽然(たちまち)に浮び来る者有り。・・・「吾は是汝(あなた)が幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)なり」といふ。・・・「吾は日本國(やまとのくに)の三諸山(みもろのやま=三輪山)に住まむと欲ふ」。・・・この神の子は、事代主神(ことしろぬしのかみ)、八尋熊鰐(やひろわに)に化為(な)りて、三島の溝樴姫(みぞくひひめ)に通ひたまふ・・・。」
(概説):《事代主神が八尋熊鰐(おおきなワニ(サメ))に化して、三島の溝樴姫(みぞくいひめ)に通い、結ばれた御子が神武天皇の大后》
・日本書紀では、神武天皇の大后の出自について、古事記とは異なる。⇒母系は基本的に同じであって、摂津の三島。しかし、その父系は三輪山の神(大物主神)とする「古事記」と(事代主神)とつたえる「日本書紀」。
・三島とは…大阪北部(茨木市、高槻市などの地域)を指す。
・「事代主神(ことしろぬしのかみ)」は、葛城の賀茂氏の奉祭神。⇒葛城の賀茂系の祖先伝承が採択されたとすべきであろう。

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●(要約)(「三輪山の古代史」(平林章仁著)を参照
・丹塗矢型神婚譚⇒英雄や始祖の誕生を語る一話。
・丹塗矢型三輪山神婚伝承が、三輪君等系の神婚伝承に、山城の賀茂氏系の強い影響を受けたものであり、神武天皇の大后の父を「事代主神」とする日本書紀の所伝は、葛城の賀茂氏の主張に基づいている。
・神武天皇には、すでに后妃がいたが、東征後、落ち着こうとする地で、新しい后を求め「ヤマト」の王者に転身しようとしたと読むことができる。神武天皇が三輪山の大物主神と縁戚関係を結んだこそ「ヤマト」の統治が可能になった。
・一方、大物主神の奉祭勢力の側からすれば、天皇家との婚姻関係を強調することで自分たちの地位や立場を高めることにつながった。
●祭祀で神が依りついたのをどう表現したのか?
「夜の帳が下り、辺りが漆黒の闇に包まれるころ、祭場の隅には篝火が灯される。静寂の中、かすかに揺れる炎が、裳裾を乱した妖しげな姿態の巫女を、仄かに浮び照らす。突然、彼女は激しく身をくねらせて大きく驚きながら・・・髪を振り乱して周章狼狽する。神と巫女の遣り取り後、樹の間から曙光が漏れて東の方の白む前に、神は「恥をかかされた」と恨めしい声を残し、闇の彼方に消え去った。」
・神と巫女の新婚秘儀の目的…結果として神の御子の誕生が語られる場合もあるが、より本来的には、地の精霊たる神と聖なる処女の結合によって、その年の豊稔を促し社会の安寧を確かなものにしようとする呪術的なものであった。
・夜は神や精霊が活動し支配する時間。昼は人間の時間となる。
・豊かな稔り、それを約束する順調な季節の巡り、災害や病虫害のないことが希求され、そのためにも祭祀もおごそかに行わなければならないと信じられていた。
(「演劇的な神事」が行なわれていたのではないか。)
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(%ノート%) (歴史コース)次回の講義案内
・日時:9月27日(火)am10時〜12時
・場所:住吉大社 (現地での室外講義です)
・演題: 「住吉大社1800年祭」
・講師:桧本多加三先生(雑誌「堺泉州」編集長)

*集合場所:住吉大社・反橋(太鼓橋)
*集合時間:9時半〜10時
*雨天決行
*(注):境内での食事は禁止です。