(%赤点%) ”文化塾ウォーキング”(H23年度・第5回)の報告です。
『千早赤阪村探訪〜楠公遺跡と棚田を訪ねる〜』
・日時:10月21日(金)午前9時〜午後3時
・集合:近鉄富田林駅9時 (金剛バス-9時20分発)
・[コース] :近鉄富田林=バス=金山古墳−建水分神社・南木神社−奉献塔−郷土資料館−楠公誕生地・産湯井戸−棚田−下赤坂城址−寄手塚・身方塚−森屋西バス停=バス近鉄富田林駅 (約8km)
・参加者:11名(女性3名、男性8名)
・スタッフ:佐藤義夫リーダー、房田、小宮山、常本
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(%くもり%)当初の日程では、10月14日(金)がウォーキング日でしたが、雨のため、今日(10月21日)に順延しました。今日も天気予報は、午後から雨ということでしたが、幸いにも、午前中は快晴、午後からは曇りで秋の快適なウォーキング日和でした。(しかし、残念なことには、日程の変更と天気予報により、参加者が申込よりかなり減りました。)
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(%エンピツ%) 「金山古墳」(右上の写真)
・「金山古墳」…日本最大級の双円墳。築造は6世紀末ごろとされる。当時としては巨大古墳といえるものでこの地の豪族の墓と思われる。…墳丘にあがると、周囲が見渡せ、遠くには古市古墳群などが見えます。
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(%エンピツ%) 「建水分神社」・「南木神社」
・「建水分神社」(たけみくまり じんじゃ)(右の写真)….延喜式神名帳に記載される神社で崇神天皇5年(紀元前92年)の創建。通称、水分(すいぶん)神社・すいぶんさん。本殿は建武中興の後醍醐天皇の勅願で楠正成が再興。(1334年:後醍醐天皇による建武の中興)。水越川を源流として千早川、石川を経て大和川に注ぐ水は流域18ヶ町村の総氏神。
・「南木神社」(なぎ じんじゃ)…建水分神社の摂社で、延元2年(1337年)創建。楠木正成の木像を祀る。南木神社の神号は後村上天皇より賜る。
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(%エンピツ%) 「奉献塔」(右の写真)
・「奉献塔」…楠公歿後600年を記念して徳島県の画家・森下白石氏が全国から集められたお金で昭和15年に建立した。菊水紋と「非理法権天」の楠公の旗印が彫られている。塔の高さは正成自害の年齢にちなみ43尺(13m)。春は桜の名所。
・「非理法権天」−”非は理に勝てず、理は法に勝てず、法は権に勝てず、権は天に勝てず”
*楠木正成が「非理法権天」の菊水旗を掲げた説がある。⇒大東亜戦争期の日本では、「天(天皇)は全てに超越する」という思想が一部に生まれ、「非理法権天」がスローガンに掲げられた。
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(%エンピツ%) 「楠公誕生地」(右の写真)
・「楠公誕生地」…楠木正成は1294年生まれと伝わる。明治8年大久保利通が生誕地の荒廃を嘆き、拡張整備して誕生碑を建立した。近くには、楠公産湯井戸がある。
*楠木正成(1294?〜1336年)
・その出自は?不明(千早赤阪説、静岡説、関東説など)
・楠木正成は、「悪党」(中世特有のことば。アウトサイダー・ゲリラ戦)の代表として位置づけられ、散所(さんじょ)長者(中世で、手工業や交通などの雑役に服した民・地域での長者)。
・南北朝内乱−楠木合戦(下赤坂合戦、上赤坂合戦)−千早100日戦争
・「湊川の戦い」(1336年、摂津国湊川で、九州から東上してきた尊氏らの軍とこれを迎え撃った後醍醐天皇派の楠木正成・新田義貞の軍との間で行なわれた合戦)で、敗れて楠木正成は自害(43歳)。
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(%エンピツ%) 「棚田(たなだ)」[右の写真)
・「下赤坂棚田」…平成11年農水省が認定した「日本棚田100選」に選ばれています。
・今日は、すでに棚田は刈り取りが全て終わり、稲架(はざ)が見えるだけの風景でした。
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(%ノート%) 次回のウォーキング
・月日:11月25日(金)
・行き先: 「源氏物語宇治十帖を訪ね錦繍の紅葉谷を行く」
・集合場所:京阪淀屋橋駅 9時
・参加費:会員400円、一般500円