(%紫点%) 後期講座(文学・文芸コース)の第7回の講義報告です。
・日時:11月10日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「万葉空間(3)」〜万葉集の世界に遊びませんか〜
・講師: 辻 孝子先生(カルチャー講師)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.万葉集の季節感
・「立冬」 (りつとう)…11月8日。冬の始まる日。まだ、四囲の自然は秋色深いが、日差しも弱まり日暮が早くなって、朝夕は手足の冷えを覚える。
・「小雪」 (しょうせつ)・・・11月23日。寒くなり小雪が降ることもある。
(白露→霜降→小雪→大雪)
★「梨(なし)」を詠んだ歌
(巻10-2189)「露霜の 寒き夕(ゆふへ)の 秋風に もみちにけらし 妻梨の木は」(作者不詳)
★「もみち(黄葉)」を詠んだ歌
「巻10-2194)「雁がねの 来鳴きしなへに 韓衣(からころも) 龍田の山は もみちそめなむ」(作者不詳)
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2.有間皇子(ありまのみこ)
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*右の資料は、「有間皇子」の系図および悲劇の経過です。(「万葉集」坂本勝監修、青春出版社より)
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・有間皇子は、孝徳天皇の子で、母は阿部氏の小足媛(おたらしひめ)。
・斉明天皇四年(658年)11月、天皇の一行は牟婁(むろ)の湯(現在の和歌山県白浜町)に行幸した。
・天皇の紀伊行幸の留守に、有間皇子は蘇我赤足(そがのあかえ)にそそのかされて謀反をはかりましたが、捕らえられます。⇒蘇我赤足が中大兄皇子(なかのおおえのみこ-後の天智天皇)の三つの失政を挙げて有間皇子に謀反をすすめた。・・・ところが、その謀議の直後、有間皇子は赤足の裏切り(密告)によって発覚、捕らえられ、行幸先の紀伊牟婁の湯に連行された。
○牟婁に往く時、有間皇子が詠んだ歌二首
☆(巻2-141) 「岩代(いはしろ)の 浜松が枝(え)を 引き結び 真幸(まさき)くあらば また帰り見む」 (有間皇子)
(歌意)(岩代の浜松の枝を引き結んでゆく。幸い無事でいられたなら、またここにたち帰ってこの松をみることがあろう)」
−「松の枝を結ぶ」→草木を結ぶことは、そこに魂を結びとめることであり、再びこの地に帰ってこらられるように、無事・安全を祈る呪的習俗。(ふたたびここに帰り得たときは結び目を解いたのである)
☆(巻−142) 「家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎(しひ)の葉に盛る」 (有間皇子)
(歌意)(家にいれば器(うつわ)に盛る飯なのに草を枕とする旅なので、椎の葉に盛ることだ)
−「なんのために椎の葉に盛るのか」→古来、2つの意見がある。(一)食事のため。当時の旅は、乾飯((かれいひ)というものを携帯し、食事のたびに水や湯でもどして、柔らかくして食べた。それを椎の葉に盛った。(二)神饌説(高崎正秀氏の説)。神事を表す・・・椎の葉を食器にするには小さすぎるところから、この説が起きた。
(辻先生は、食事説⇒家では「手枕」、旅は「草枕」。有間皇子の不安に満ちた旅の、わびしい食事をうたった歌と解釈)
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3.有間皇子の悲劇
・有間皇子は、中大兄皇子の訊問に、「天(あめ)と赤足(あかえ)と知る、吾全不解(われ もはら しらず。」とのみ答えて、帰途、この岩代を通りすぎたが、その後、藤白の坂で絞首されたのである。
・時に、有間皇子19歳。自分が引き結んでいった松の枝をほどく機会をあたえられただろうか。…皇位継承争い のまさに悲劇の死である。
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4.結び松を見て詠った歌(悲劇の皇子に対する哀悼の挽歌)
○有間皇子事件から43年後の大宝元年(701年)、文武天皇の紀伊行幸の際、長忌寸意吉麿も供奉していた。その折、悲劇の最後を遂げた有間皇子に対して同情をこめて詠った歌二首。
☆(巻2−143) 「岩代の 岸の松が枝(え) 結びけむ 人は帰りて また見けむかも」 (長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ))
(歌意)(岩代の岸の松の枝を結んだという人は、立ち帰って再びこの松をご覧になったのだろうか)
☆(巻2-144) 「岩代の 野中に立てる 結び松 情(こころ)も解けず 古(いにしえ)思ほゆ」 (長忌寸意吉麿)
○山上憶良の歌一首
☆(巻-145) 「天翔(あまがけ)り あり通(がよ)ひつつ 見らめども 人こそ知らぬ 松は知るらむ」(山上憶良)
(歌意)(皇子の魂は天空を飛び通いながら松の枝を見ているのでしょうが、人にはそれがわからなくても、松は知っているだろう)
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(%ノート%) 文学・文芸コースの次回講義(案内)
・日時:11月17日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール ((注)いつもの3階会場③→3階会場②になります)
・演題:源氏物語の男たち〜宇治十帖の女君たち〜
・講師:奥村 和子先生(詩人・カルチャー講師)