『倭の五王と古市・百舌鳥古墳群』

(%緑点%) 後期講座(歴史コース)の第9回講義の報告です。
・日時:11月22日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「倭の五王と古市・百舌鳥古墳群」
・講師: 笠井 敏光先生(文化プロデューサー)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.倭の五王
倭の五王とは、『宋書』倭国伝などに記された、中国南朝に遣使した「讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)」(『梁書』では讃=賛、珍=弥(み))を指す。

「讃」
・421年:倭王讃が宋に遣使し、安東将軍倭国王の称号を受ける
・425年:倭王讃が宋に遣使、方物を献上
・430年:倭王讃が宋に遣使
(*「讃」は力があったから中国へ何回も遣使を派遣?⇒むしろ、「讃」は絶対的な力がないから、中国のバックアップを求めるために何回も派遣したと思われる)
「珍」
・438年:倭王讃が死去。弟の珍が立ち、宋に遣使
「済」
・443年:倭王済、宋に遣使
「興」
・462年:倭王済が死に、世子の興が宋に遣使
「武」
・478年:倭王武が宋に上表
・502年:倭王武が梁の武帝から征東将軍の称号を受ける

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2.大王墓の変遷
○【3世紀後半〜4世紀前半】…大和盆地東南部(大和・柳本・磐余(いわれ)などの古墳群)…箸墓(278m)、桜井茶臼山、行燈山(崇神陵)、渋谷向山(景行陵)など
○【4世紀後半〜 】…大和盆地東南部から北部の佐紀(さき)、西南部の馬見(うまみ)の古墳群へと立地を移動…五社神(神功陵275m)、宝来山(垂仁陵)、巣山、築山など
○【4世紀末〜5世紀末】…大阪平野南部へと移動。河内南部(古市古墳群)と和泉北部(百舌鳥古墳群)の間を行き来する…誉田山(応神陵425m)、大山(仁徳陵486m)など
○【6世紀】…摂津(三島野古墳群)、河内を経て、再び奈良へと戻る…太田茶臼山、今城塚など

●大王墓の移動について、王権交代による本拠地の移動とみる説、王権の基盤は奈良盆地のまま、墳墓の地を移動しただけとする説がある。
巨大な王墓について
①墓が大きいから、“大王”と呼んでいいのか→証明されていない
②何故大きいのか→権力が大きいから古墳も大きいのか
③墳丘の大きさは、何によって決まるのか→「在位期間」、「寿墓(大王になった時からときから造り始める)」、「築造期間(100m造るのに5年はかかる)…仁徳陵の築造期間は約20〜25年」
④古墳の前後もありうる→(例)第16代○○天皇−第18代○○天皇−第17代○○天皇
⑤大きさが特異である→競い合いによる相対的な権力による(絶対的な権力ではないのでは・・・)

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3.古市古墳群と百舌鳥古墳群
○4世紀末から5世紀にかけて、巨大古墳の多くは、奈良盆地を離れ、大阪平野に造営されるようになる。それが、古市(ふるいち)古墳群と百舌鳥(もず)古墳である。
○(右図を参照)二つの古墳群は東西に向き合っており、大津道(おおつみち)、丹比道(たじひみち)という古代の2大幹線道路によって結ばれていた。

「どうして、このような場所に造営したのか?」
・海から、道から・・・“見えるように”造られた。
・2大古墳群が営まれた古市と百舌鳥は、いずれも原野で不毛の地(農耕地にふさわしくない土地)。
・倭の五王が、5世紀初頭から約1世紀にわたって中国に遣使しているが、大陸との交流・交渉が増大するとともに、この地の開発が進んだ。
「河内王朝論は成立するか」
・大和から出る意味→畿内全体で考える(畿内政権)
・古墳を造る原理…出自(本貫地)+政策(国内、対外)
・農耕に適さない原野
・政権の中枢は宮(天皇、大王がいるところ)であって、古墳は墓。
・巨大な墓ゆえに、権力があると思うのは?

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4.倭の五王は、歴代天皇の誰に?
○この五人が歴代天皇の誰にあたるかは、『古事記』『日本書紀』(「記紀」)から推定すると・・・済=允恭(いんぎょう)天皇興=安康(あんこう)天皇武=雄略(ゆうりゃく)天皇といわれている。
・笠井先生説…須恵器による年代測定
−基準となるのは、 【「済」=市ノ山古墳(須恵器TK208[440〜460年])=允恭天皇】、【 「武」=稲荷山古墳(須恵器TK47[480〜500年])“ワカタケル”= 雄略天皇

●しかし、 「讃」=応神天皇または仁徳天皇または履中(りちゅう)天皇、 「珍」 =仁徳天皇または反正(はんぜい)天皇など、諸説あり不明です。
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(%ノート%)歴史コースの次回講義(案内)
・日時:12月6日(火)am10時〜12時
・演題: 「武寧王と河内飛鳥」
・講師: 笠井 敏光先生(文化プロデューサー)