『平家物語』を読む・・・平清盛の息子重盛〜殿下乗合を中心に〜

(%緑点%) 後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全15回講義)の第14回講義の報告です。
・日時:1月24日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 『平家物語』を読む』 〜清盛、摂関家と訣別〜
・講師:四重田 陽美(よえだ ひろみ)先生(大阪大谷大学教授)
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平清盛[関係年表]*
・1118年:平忠盛(ただもり)の嫡男として生れる
・1153年:(36歳)父忠盛の死後、平家一門を率いる(武門棟梁)
・1156年:(39歳)保元の乱
・1159年:(42歳)平治の乱
・1167年:(50歳)太政大臣
・1168年:(51歳)出家
・1181年:(64歳)死去
・1185年:壇の浦の戦いで平氏滅亡

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(%エンピツ%) 講義の内容
1.天皇と武士の関係
(1)武士の「本分」
・「朝家(ちょうか)の護り」 …“天皇家をまもる”
(2)院政
・院政…天皇が「上皇」(譲位後の天皇の呼称・太上(だじょう)天皇)や「法皇」(上皇が出家したときの呼称)となって事件を握り、国を統治する政治形態
・場所と人…「内裏」(だいり)=天皇、 「院」=上皇
・堀河天皇(8歳)に譲位した白河上皇が、院庁を開設した1186年を院政の始まりと考える。
(3)武士の台頭
「北面の武士」 (院の北側に置いて警備を行なわせた)
・院政は、白河・鳥羽・後白河上皇と、3代100年にわたって続く→武士を重用
(4)末法思想
・仏教が日本に伝来(538年?)して、約500年経過し、仏教が浸透していた時代。−「末法思想」が拡がり、1052年を末法元年とする説が信じられていた。
・仏法が乱れる末法の世で、王法もまた乱れ始めていた
・鳥羽上皇は五歳、近衛上皇は三歳、1165年には六条天皇が二歳で皇位継承した。

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2.平家物語・「東宮立」 (とうぐうだち)
(あらすじ)
・二歳の六条天皇が即位。・・・建春門院(滋子。清盛の妻・時子の妹)が生んだ後白河院の皇子(五歳)に親王の宣旨。・・・仁安元年(1166)に親王の皇子が東宮(皇太子)にお立ちになった。
・六条天皇は、二歳で皇位をうけ、ようやく五歳になったばかりの二月十九日、東宮に践祚(せんそー天皇の位を受け継ぐこと)して、新院になった。・・・まだ成人にもなられないで、上皇の尊号を受けられた。中国、わが国を通じてこれが初めてであろう。
・仁安三年、新帝は大極殿で即位された−高倉天皇と申される。⇒この君の即位は、ますます平家の栄華と思われた
・後白河院の妻・高倉天皇の母、建春門院は、平家の一族であり、清盛の妻の妹である。また、平大納言時忠も、建春門院の兄であり、天皇の外戚である。

○「時の人平関白とぞ申しける」(当時の人は、時忠卿のことを平関白ともうしあげた)
「平家一門にあらざるものは、人にして人にあらず」 (平時忠)

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3.平家物語・「殿下乗合」(てんがののりあい)
*「殿下乗合」…重盛(清盛の長男)の次男・資盛(すけもり)が引き起こした殿下(摂政・関白)の乗合事件
(事件のあらすじ)
・十三歳の資盛は、若い侍どもを引きつれて、紫野の周辺で、終日、狩りをして、暮れ方になって六波羅に帰られた。ところが途中、御所に参内しようとしていた摂政の藤原基房の一行と、大炊御門猪熊というところで、ばったりと出会った
・騒ぎはその時に起こりました。…下馬(げば)の礼をとることなく、駆け破って通ろうとする資盛一行に、すこしはわかっていても、知らないふりをして、基房の供の者たちが馬から引きずり落とし、すっかり恥をかかせた
・六波羅に逃げ帰った資盛は、祖父の入道相国(清盛)に訴えた。入道はたいへん怒って、“摂政殿への恨みをはらしたい” 。…重盛は、“重盛の子供ともあろう者どもが、摂政殿のおでましに出会って、乗り物から降りなかったことこそ、愚かです”といって、事件に関係した侍どもを呼び寄せて、“まちがって殿下へ不礼をはたらいたことを、私の方からお詫びを申し上げたいとおもっている”。
清盛は、重盛に相談しないで、片田舎の侍どもを集めて「資盛の恥をすすげ」。…宮中の会議のために御所に向かう摂政・基房の一行に、猪熊堀河の辺で、待ち伏せていた三百余騎が一度に襲いかかる。お供のもとどりを切ったり、牛車をこわしたりした。…清盛は、“よくやった”とおっしゃた。…しかし、重盛は非常におあわてなさった。出かけていった侍どもを皆、処罰し、資盛はしばらく伊勢の国に謹慎させた。だから、この重盛大将のことを、君も臣も感心なさったということであった。

○『平家物語』の作者は、この事件を「是こそ平家の悪行(あくぎょう)の始(はじめ)なれ”/b>と評しています。
●そして、事実は、この事件の黒幕はほかならぬ重盛であったらしい。

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*四重田先生からのメッセージ*
「現在、大学では、日本語表現演習という講義で、学生たちに、日本語で自己表現することを教えたり、現代教養講座Ⅰ(文学)で、平家物語や源氏物語を購読したりしています。誰かを愛した時に、その人にどれだけ尽くしてもらうかを考えるのではなく、その人のためにどれだけ尽くせるかを考えること、あるいは、どういう死に方をすることがよく生きたといえることになるかを考えること、など、今の日本には薄れている古典の中の日本人を語り合っています。」
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(%ノート%) 歴史コースの次回講義[案内]
・日時:1月31日(火)am10時〜12時
・演題:経営の神様「鳥井駒吉」
・講師:桧本 多加三先生(雑誌「堺泉州」編集長)