(%紫点%) 前期講座(文学・文芸コース)の第5回講義の報告です。
・日時:4月18日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:織田作之助の文学ー『六白金星』『夫婦善哉』を中心に
・講師:増田 周子(ますだ ちかこ)先生(関西大学文学部教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
○織田作之助(1913年ー1947年)
・大正二年、大阪市天王寺区に生まれ、大阪をこよなく愛し、大阪からの文化起こしを推進し、大阪を舞台にした数々の作品を残す。
・(作品)−『夫婦善哉』(短編・1941年)、『木の都』(短編・1941年)、『蛍』(短編・1944年)、『猿飛佐助』(連続放送劇/中編・1945年)、『六白金星』(短編・1946年)、『競馬』(短編・1946年)、『アド・バルーン』(中編・1946年)、『可能性の文学』(評論)など
・昭和22年、34歳で死去。『夫婦善哉』を発表して以後、文学的生涯はわずか7年間にすぎない。・・・今年(2013年)は、織田作之助生誕100年。
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○ 『六白金星』(りくはくきんせい)のあらすじ…昭和20年(1945)『新生』に発表
・[主要人物]:父(中那尾圭介)(医者)、母(村瀬寿枝)(看護師)(妾)、兄(修一)、弟(楢雄)(小説の主人公)
-圭介は、芦屋の自宅からほどない香枦園に妾宅をかまえる。
-兄・修一は、秀才で要領がよく、女たらしだが学校にばれない。弟・楢雄は、鈍才で要領が悪い。⇔ 対照的な兄弟を描いている。
-中学生になり、やっと二人は父方に入籍された。
(六白金星の運気)
・父・圭介は、来るたびに楢雄に小言。折檻され、ひそかに「運勢早見表」を開き、自分の星の六白金星と父の九紫火星とが相性大凶であることを確かめ納得した。
「この年の生まれの人は、表面は気長のように見えて、その実至って短気にて・・・。親兄弟の縁薄く、早くより他人の中にて苦労する者が多い。・・・生来忍耐力に富み、辛抱強く、いったんかうと思ほ込んだことはどこまでもやり通し、大器晩成するものなり…」
(楢雄は自殺未遂。その後、父・圭介の死)
ある夜、楢雄は砒素をのんで自殺未遂。その後、楢雄はむくむくと体が大きくなり、体格検査は最優良だが、高校の入試に失敗して、高槻の高医へ入学。その年に父は芦屋の病院で死んだ。
(楢雄は、母に内緒で雪江と同棲。また、将棋に熱中、将棋指南所に毎日通う。)
京阪マーケットの駄菓子売りの雪江さんと同棲。母や叔母の干渉をのがれ、転々と住まいや職場を変えた。
(終章)
兄の修一が将棋の勝負を申しこんだところ、楢雄は意気込んでやってきて、はいてきた下駄を見せた。「将棋の駒型に削られ、表に〈角〉と〈龍〉の駒の字が彫られた下駄だった。修一は声をのんで<この男にはもう何を言っても無駄だ>と思った。」
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○時代背景−戦前の検閲
・織田作之助は、戦前の検閲という困難な時代にデビューしている。
(1) 『六白金星』の発表
・「文芸」(昭和15年9月号)に発表するつもりだった。→『六白金星』(昭和21年9月三島書房)の「あとがき」で、織田作之助は“同じやうな材料を、私は昭和15年に書いたが、当時発表を許されなかった”−(検閲により、発表できなかったのではないかと考えられる。)
・「新生」(昭和21年3月)に発表
(2) 「新生」版と「文芸」版の相違点
《織田作之助の未発表原稿が発見!−2008年、『六白金星』と同じ題の未発表原稿が36枚発見(『文芸』版)。(関西大学所蔵)
(相違点)
・「文芸」版は、「新生」版に比べ、会話文が大阪弁である
・自殺未遂の理由が異なる
・「文芸」版は、<楢雄が船に乗り、火夫をしたり、四国に行って、サーカス小屋で働く>
・ストーリーは、ほぼ同じだが細部の文章が大きく異なっている。
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○織田作之助の文学碑
天王寺区夕陽丘町の口縄坂に、織田作之助文学碑があり、碑に『木の都』の一節が刻まれています。
○織田作之助賞
・増田周子先生は、「織田作之助青春賞」(24歳までの若手を対象に短編小説を公募)の選考委員です。
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◆4月18日の講義報告が遅れましたこと、ご迷惑をおかけしました。
ブログを管理するシステム全体の変更があり、ブログの作成などを含め利用できなくなりました。やっと、5月8日から利用できるようになりましたので、今後とも、よろしくお願いいたします。
南河内シニア文化塾:ブログ「シニア文化塾だより」(担当 常本)
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