日本近現代史『第一次世界大戦』−日本ではなぜ「大戦争」と第一次世界大戦はよばれなかったのかー

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)の第6回講義の報告です。
・日時:4月30日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:日本近現代史「第一次世界大戦」
・講師:原田 敬一先生(佛教大学歴史学部教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
○「第一次世界大戦」のおさらい(『新訂版 高校日本史A』(実務出版)
(1)第一次世界大戦に日本はなぜ参戦したのか
・1914(大正3)年7月、バルカン半島サラエボで、オーストリア皇太子が射殺された事件(サラエボ事件)をきっかけに、第一次世界大戦が勃発。
・【大隈重信内閣は、大戦の勃発に際して、まず中立を宣言 → イギリスが日本に対し、アジアでのドイツ武装商船撃破という限定的な支援要請 → 日本は日英同盟を根拠に1914年8月にドイツに宣戦布告して参戦

・「大正新時代の天佑」(元老・井上馨の提言)「今回欧州の大戦争は、日本の国運を発展させる大正新時代の天佑(てんゆう)なので、日本はただちに挙国一致の団結によって、この天の助けを利用しなくてはならない。」
・そして日本は、赤道以北のドイツ領南洋諸島とドイツの勢力圏であった中国の山東半島の青島(チンタオ)を占領し、さらに地中海に艦隊を派遣した。
(2)対中国21カ条要求
(中国の状況)…1911年、孫文らの指導する中国同盟会が辛亥革命をおこし、清朝をほろぼした。→北方軍閥・ 袁世凱の北京政府と南方の革命派が対立。→ 袁世凱が初代大統領となって政権をにぎると、日本はこの政権を支持した。
1915年 「対中国21カ条の要求」
・(要求内容)満州の租借延長、ドイツ権益の譲渡、中国に対する権益拡大請求など。
・中国はこれを拒んだが、日本政府は最後通牒という強硬な態度で承諾を迫る。5月9日、中国は日本の要求をのむ。中国の人々は、これを屈辱として国恥(こくち)記念日とし、排日運動が展開された。

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○ヨーロッパでは「大戦争 Great War」と呼んだし、今でも呼ぶ
*右の資料は、第一次世界大戦の死傷者数です。
★[ 第一次世界大戦]★
・ヨーロッパが主戦場。しかし、戦闘はアフリカ・中東・東アジア・太平洋・大西洋・インド洋にも及び、世界の多くの国が参戦。
連合国(イギリス・フランス・ロシア)(日本・イタリア・アメリカ) ⇔ 同盟国(ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリア)
・1914年から1918年、5年にわたる戦争で900万人以上の兵士が戦死 ← 戦場の主役は歩兵。戦争の大規模化と重砲・機関銃の大量投入。初めて投入された飛行機(空襲)・戦車・潜水艦などは性能や数量がいまだ不十分。
・戦争の後半には、「ロシア革命」(1917年)が勃発し、社会主義政権をが誕生。 ← 大戦によって経済が混乱したロシアでは食料暴動が起き、一気に革命に向かう。
・アメリカの参戦(1917年4月)で、軍事バランスは崩れ、ドイツは崩壊していく。

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○「大戦争」をどのように終わらせたのか
(1)ウィルソン米大統領とレーニン(ソ連)の競争
・1917年12月:ソ連(全権ヨッシュ)は、ドイツ・オーストリアと講和交渉(無併合・無賠償金・民族自決を講和原則として提案)
・1918年1月:アメリカ(ウィルソン大統領)、「14ヶ条の平和原則」を提案し、戦後世界の青写真を提示−(秘密外交廃止・軍備縮小・民族自決・国際連盟の設立など)
《エピソード》ウィルソン大統領は、講和会議で最も問題になるはずの賠償問題に触れず→講和会議では、報復的賠償となり、ナチスが台頭する原因に)
(2)ヴェルサイユ講和条約(対独講和条約)(1919年6月)
・国際連盟規約を第一編に含む
・ドイツに対する厳しい内容…多額の賠償金、アルザス・ロレーヌを仏に返還、海外植民地を全て返還、軍備も極端に制限

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○日本にとって「第一次世界大戦」は
(1)日本では、「大戦争」という認識が強くない
・イギリスに誘われて参戦し、主戦場はヨーロッパ
・戦死者もはるかに少ない(但し、シベリア出兵は除く)
・当初は、「欧州戦争」といわれていた
・当時の日本・参謀本部編の表題は、『秘 大正三年日独戦史』
(2)先進国にのしあがる
・日本は大戦中、中国に進出し、また軍需品の生産や輸出の増大により空前の好景気。アジア最大の工業国へのジャンプ台になった。 → アメリカ、イギリス、フランス、イタリアとともに五大国の一つに数えられる先進国にのし上がった。