『吉宗の享保改革と日本の近代化』

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)の第10回講義の報告です。
・日時:6月4日(火)10時〜12時20分
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:吉宗の享保改革と日本の近代化
・講師:笠谷 和比古先生(国際日本文化研究センター教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(%エンピツ%) 講義の内容
○徳川吉宗の享保改革の歴史的意義…「近代日本の扉を開く」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.徳川吉宗、将軍への道
・貞享元年(1684)、紀州藩主徳川光貞の四男として和歌山に誕生。→兄たちの相次ぐ死により、宝永二年(1705)、紀州藩55万石の五代藩主となる(22歳)。…藩財政の再建、質素倹約・緊縮財政などの諸改革を行う。
・七代将軍家継が、8歳で病死(徳川宗家の血統断絶)。→享保元年(1716)5月、徳川宗家(本家)以外の御三家の一つ・紀州家から初めて将軍になる。(*吉宗の特異な経歴が、先例格式にとらわれない改革を行い、自らの意志を前面に出して政治を主導。)
2.享保の改革 [享保元年(1716)から延享二年(1745)]
(1)時代背景
・17世紀後半から18世紀前半は、低成長の時代。元禄期(1680〜1709年)における社会経済の発展→元禄期以後、年貢収入を基礎とする幕府や藩の財政は、消費生活の進展にともなう支出増大により、急速に悪化…旧来体制の行き詰まり(財政窮乏・破綻)
(2)諸改革
①財政再建…「財政制度の改革」(新たな税制-上米の制など、予算制度の導入など)
②行政制度の整備…「政治の公共性理念」(目安箱など)
③広域行政…新田開発、治水・灌漑事業
④司法制度の体系化…法典編纂と法にもとづく統治(「公事方御定書」)

足高(たしだか)の制と人材登用[享保八年(1723)]
*右の資料をご参照ください。
・吉宗の人材登用策「足高の制」は、身分制度と能力主義を両立
・各役職ごとに基準を定め、その役職に任命された者の家禄(かろく)(代々、家に伝わる俸禄)が、基準高に達しない場合、在職期間中に限って、不足分を支給する制度。
(例)家禄300石の者が上級の長崎奉行(1000石)の役職に就任した場合、在任中のみ700石を支給する。
・家禄の高い層にいつも有能な人材がいるわけではない。→少禄の有能な人材を上級職に抜擢し、人材を補う。そのとき、その地位にふさわしい禄高に加増する。

薬種国産化と近代化
・丹羽正伯、野呂元丈、植村左平次、安倍将翁らの本草学者を登用し、本格的な薬草政策を展開した。
・従来輸入に頼っていた薬種類の国産化を計る(薬種の安定供給と輸入薬種代価の軽減)
☆採薬使の全国派遣…国内薬剤の調査・収集(全国の諸大名の調査協力)
☆朝鮮人参国産化政策…吉宗は、対馬経由で人参の生根を何度も取り寄せて、栽培に失敗を繰り返すうち、ついに種子からの栽培に成功。延享三年(1746)、御種人参(おたねにんじん)(栽培種朝鮮人参)が一般販売。
☆諸国産物調査…全国規模で産物調査。物産学と産業振興策
☆『阿蘭陀本草和解』(蘭書の翻訳)→ 『解体新書』(前野良沢・杉田玄白1774年)につながる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
***まとめ***
○吉宗の享保改革がなければ、日本社会の近代化は50年から100年遅れたであろう。
(1)足高の制…幕末だけに逸材が出たのではない。身分制度と能力主義を両立した“足高の制”による人材登用
(2)自然の観察に基づく実証主義…採薬使の全国派遣、全国の自然物・物産の調査、薬種国産化。(吉宗は、天文学・暦学など実学にも熱中した。)
(3)蘭学・博物学の勃興…欧州の『草木誌』蘭書の翻訳により、蘭学(洋学)のとびらを開く。(現代の学問にほぼ直接つながる蘭学。吉宗は、野呂元丈と青木昆陽にオランダ語の研究を命じる)

19世紀、欧米列強と遭遇した時の徳川日本(サムライ社会の日本)の国家的力量が、『西洋の衝撃』に耐えることができたのは、先行する18世紀・吉宗の享保改革による上記などの動き(知的革命)があったからに他ならない。