『平清盛の生きた時代』〜考古学からの検証

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)の第11回講義の報告です。
・日時:6月11日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:平清盛の生きた時代〜考古学からの検証〜
・講師:森岡 秀人先生(奈良県橿原考古学研究所 共同研究員)
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**森岡先生による2回にわたる講義です。
【復習】
前回(H24年11月27日)
・平清盛(1118〜1181年)の生きた時代を、土中から出土する遺跡や遺物など考古学資料から検証
(1)当時の建物のようすを探る…堀立柱建物−「建物方位を西に振る(奈良時代は南北志向)」、「総柱建物が多い(竪穴住居は無い)」、「古墳時代より間隔広く(20〜70m)」、「耕作地と組む生活」など
(2)12〜13世紀頃の日常容器・食器の変化…京都系土師器皿(京都産の模倣品)、瓦器は和泉型中心。12世紀後半から三古窯(備前・丹波・常滑焼)が出てくる)、茶文化の浸透など
(3)国際交流の痕跡…貿易陶磁の活発な動き

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第2回講義(H25年6月11日)
1.清盛の時代と結びつく遺跡
①博多遺跡群(福岡市)
・1977年から発掘調査。大陸交流の門戸的役割
・中国・宋の瓦が出土(宋からの輸入及び宋から技術者が博多周辺で生産)
・摂津・河内地方の瓦器椀などの流通(瀬戸内海を往来していた)など
②祇園遺跡(神戸市)
*右上の資料は、祇園遺跡からの出土品(右の天目椀は一級品)
・第一次1993年発掘
・平家一門の屋敷地の一角あり。庭園遺構出土
・中国産白磁・青磁、最高級天目椀の出土など
③大物遺跡(芦屋市)
・震災復興の事前発掘調査で見つかる
・港湾遺跡としての性格(貿易陶磁(白磁・青磁)の大量出土など)

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2.摂津福原・大輪田泊
(1)福原京・和田京問題
○「平安時代末期・治承四年(1180)6月2日、京都から摂津国の福原へ、安徳天皇、高倉上皇、後白河法皇の行幸が行われ、ここに行宮が置かれた。そして、平氏政権は福原に隣接する和田の地に和田京を計画した。…11月には京都への還幸となった。」
・斜面地に適応した都市計画は存在→遺物がしっかり出てくる。しかし、内裏や八省院の建設は無い。
・遷都の宣命が無い(文献史料が無い)。
・副都制だったのでは?(正都ー平安京、副都ー福原京)

★福原京の遷都・非遷都論については、これからの発掘調査の成果を待つことになる。
(2)大輪田泊の実態
○「僧行基が開いたと伝えられる。平清盛は、宋との貿易のため、私費を投じて大規模な修築。南東風による風浪が港湾施設を破壊する事が多かったので、湊の前面に人工島(経が島)を築いた。埋め立ては軟工事であった。平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて日宋貿易で栄えた。中世にあっては、兵庫湊と呼ばれた。」
・8世紀後半から13世紀前半の遺構ないし遺物が出土した地点は限定的で、最古段階部分が不明確。

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***まとめ***
・12〜13世紀段階の特徴的な遺跡が阪神間を中心に浮上。(市街地の中に、全貌が埋まっている)
・遺構・遺物からみると、平氏政権は、中世を先取りしている。
・平氏政権段階を長期にとらえて、考古学的な調査・研究視点を持つことが大切
・今後の歴史学・地理学と考古学との連携に期待