『平家物語を読む』…祇王〜清盛に人生を変えられた舞姫〜

(%紫点%) 前期講座(文学・文芸コース)(3月〜7月:全13講義)の第13回講義の報告です。
・日時:7月18日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:『平家物語を読む』〜祇王〜
・講師:四重田 陽美(よえだ はるみ)先生(大阪大谷大学教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.平家物語について
・全12巻…巻六で清盛の死。清盛の若い頃のことは語られていない。
・成立…未詳(平家滅亡から40〜50年後・1230年頃に書かれた)
・作者…未詳
・同じ時代に軍記四作品…『保元物語』『平治物語』『平家物語』『承久記』
・語り本(覚一本など)と読み本
2.平清盛 [関係年表]
・1118年:平忠盛の嫡男として生まれる
・1156年:保元の乱
・1159年:平治の乱
・1167年:太政大臣
・1181年:清盛逝去(64歳)
・1185年:壇ノ浦の戦いで平家滅亡

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3.『平家物語』を読む〜祇王〜 [清盛に人生を変えられた舞姫]
(あらすじ)
〇清盛、祇王を寵愛
「平清盛は、天下を掌中に握りなさったので、世の非難も遠慮せず、思いがけない事ばかりなさった。・・・白拍子の名手で、祇王(ぎわう)・祇女(ぎにょ)という姉妹の姉の祇王を寵愛し、母のとぢにも良い邸を造ってやり、毎月米百石と銭百貫を与えて、一家は富み栄えていた。」 
・・・「三年後、加賀の仏(ほとけ)という16歳の白拍子が、清盛殿のところに、招かれていないのに自ら押しかけていった。清盛は、“なんということだ。よばれもしないのに押しかけてくるなどあってはならない。そのうえ祇王がいる所へは、参る事は許されない。とっと退出せよ」


〇清盛は、仏御前に心を移し、祇王を追い出す
・「清盛は、最初はそんな者には会わないといっていた。・・・祇王のとりなしで、呼び戻され、仏御前が今様と舞を披露すると、たちまち心を移された。」⇒「祇王は、清盛殿が“さっさと退去せよ”おっしゃるので、自室を掃いたり拭いたり、見苦しいものを整理して、とうとう出て行くことになり、襖に、泣く泣く一首の歌を書き付けた。
萌え出づるも枯るるも同じ野辺の花 いずれか秋にあはで果つべき
(意訳)(人の愛を受けるも、人の愛情が離れてゆくのも同じ野辺の草のような白拍子の身であるならば、いずれは飽きられ、秋になる前に捨てられる運命なのだろう)


〇清盛、失意の祇王を呼び出す
・「翌年の春のころ、清盛殿は失意の祇王を呼び出して、“歌や舞で仏御前をなぐさめよ”と命じた。・・・母親のとぢに諭されて、泣く泣く清盛公の屋敷に参上する。」
⇒「・・・行ってみると、以前とは違い各段に低い扱い。落ちる涙を押えて今様を一曲歌った。」
仏も昔はただの人 我らも死んだら仏 どちらも仏性を持っているのに 分け隔てされるのが悲しい
・・・その座にたくさん控えていた人々はみな感動の涙を流した。

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〇祇王出家
・「清盛邸での屈辱的な扱いに祇王は、いったん身投げをしようと考えたが、妹の祇女や母のとぢの嘆きを聞いて思いとどまり、21歳で尼となり、嵯峨野の奥の庵室にこもった。・・・その翌年の秋の夜、念仏を唱えていた親子三人の庵の戸を叩く者がいる。・・・そこには尼になった仏御前が立っていた。」
⇒その後、この四人の尼は同じ庵で念仏して、往生を遂げたという。
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(%紫点%) 平成25年前期講座(文学・文芸コース)(3月〜7月:全13講義)は、7月18日で終了しました。
講義の先生並びに受講生・聴講生の皆様に、厚く御礼申し上げます。

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