『広島を行く』(1)〜被爆68年〜

(%晴れ%) 猛暑お見舞い申し上げます。
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(%エンピツ%) 「原爆の子の像」
・写真は、広島平和記念公園内にある、「原爆の子の像」です。
・子の像のモデルとなった佐々木禎子さんは、2歳の時被爆しました。10年後(小学校6年生)に、白血病と診断され、入院して8カ月闘病後、短い生涯を終えました。(禎子さんは入院中に回復を祈って千羽鶴を折り続けました)。
・像の下に置かれている石碑(碑文)… 「これはぼくらの叫びです これは私たちのいのりです 世界に平和を きずくための」
・毎年、約1千万羽の「折り鶴」が日本全国、世界各国から捧さげられています。

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(%エンピツ%) 「広島平和記念資料館」(通称:原爆資料館)
・1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、原爆が広島に落とされた。
・原爆による被害の実相を世界の人々に伝え、広島の心である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的に、1955年(昭和30年)に開館。(入場料:大人50円)
・資料館は、「被害の状況と広島の被爆前後」、「遺品や被爆資料」、「核時代の状況」などを紹介。
○「なぜ日本に投下することを決めたのか」
右上の写真が、印象に残った展示コーナー 「なぜ日本に投下?」
***【日本の戦況が圧倒的に不利な中、アメリカは、戦争終結手段として、日本本土上陸作戦、ソ連への対日参戦の要請、天皇制存続の保証、原爆の使用という選択肢がありました。こうした状況の下、原爆投下により戦争を終結することができれば、戦後、ソ連の影響力が広がるのを避けられ、まだ膨大な経費を使った原爆開発を国内向けに正当化できるとも考えました。】***

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(%エンピツ%) 「原爆死没者慰霊碑」(正式名称:広島平和記念碑)
・中央の石室(石棺)には、国内外を問わず、亡くなった原爆被爆者の名前を記帳した原爆死没者名簿が納められています。
*28万3959名[平成24年(2012年)8月6日奉納時]
○「慰霊碑碑文」論争
碑文…「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
・「この『過ち』は誰が犯したものか?」の論議
・説明文では、「碑文はすべての人びとが、原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である」とあり、犠牲者の冥福と不戦の誓いの言葉であると解説されている。

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(%エンピツ%) 「原爆ドーム」
・右の写真は、2013年8月8日午後2時頃の原爆ドームです
・10数年ぶりに、平和記念公園を訪れました。…原爆資料館は、多くの人が訪れ、特に外国人の多さにビックリです。
・是非、機会がありましたら、広島を散策されることをお勧めします。