天皇は「日の御子」か〜『古事記』〜

(%緑点%)H25年度後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全15回講義)の第1回講義の報告です。
・日時:9月3日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール3階会議室 (富田林市)
・演題:天皇は「日の御子」か
・講師:平林章仁先生(龍谷大学教授)
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(%エンピツ%) 1.『古事記』における「日の御子」の用例
(1)「日の御子」の用例は、『古事記』と『万葉集』しか見られない。
・『日本書紀』、『風土記』には、一切見られない。
・『古事記』における用例は5首あるが、すべて歌謡に限られる。
・用いられている対象人物は、古代史上重要な位置にある倭建命仁徳天皇雄略天皇の三名のみ。
(2)今日は、平林先生の最近の研究テーマで、”『古事記』における「日の御子」の用例から特別な意図が存在した”ことを読み取る講義です。

(%エンピツ%) 2.「日の御子」の用例
(1)日の御子・ 倭建命 (ヤマトタケル) :『古事記』《中つ巻[景行天皇](倭建命の東征)…*右の資料を参照
・ヤマトタケルが東征を終えて尾張国に帰って、美夜受比売(みやずひめ)と結婚した時に、ヤマトタケルの御歌に答えて、美夜受比売が曰く・・・「高光る 日の御子 やすみしし 我が大君・・・」

(2)品陀の日の御子大雀(オホサザイ)仁徳天皇:『古事記』中つ巻[応神天皇](国主(くにす)の歌)…*右の資料を参照:
○国主が奉った歌謡の中の「品陀(ほんだ)の 日の御子 大雀」という詞章の問題
①三つの説
・「応神の子ども仁徳」、「一人が二つの名前(応神・仁徳)を持っていた」、「仁徳が一人いて、応神が分化」
②一般には、「品陀和気命(応神天皇)の御子である大雀命(オホサザキ)(仁徳)」、すなわち「応神天皇の後継者たる大雀命の立場を高らかに歌い上げている」と解されてきたが、 「品陀の御子大雀」=大雀の説で応神天皇の存在に疑問。…五世紀の王統譜の信憑性と王権をめぐる問題点
③右の資料とは別に、仁徳天皇を「高光る 日の御子(比能美古)」と称える歌が『古事記』に載録されていることから、「品陀の日の御子」と「大雀」を分離するのは、適切でないと考える。

(3)日の御子・ 若建命(ワカタケル) :『古事記』(下つ巻[雄略天皇](三重の采女)…右の資料を参照
○この歌物語は、ヤマトタケルと何らかの関連がある。
・雄略天皇記で、新嘗の豊楽の際に歌われた二首に「日の御子」。
・三重は倭建命の命名に由来する地名と伝承されていた。→倭建命の伝承=〝美夜受比売から「日の御子」と称えられた倭建命”
○ワカタケル(雄略天皇)のときには、原初的な倭建命伝承が存在していたと考えられる。→「ワカタケル」が(以前に存在した)「タケル」伝承を意識して、「ワカタケル」と称した可能性は高いと考えられる。

(4)オホサザキの真実
○オホサザキにのみ「日の御子」が冠せられたのは、鷦鷯(.みそさざい)が鳥の王になる昔話に関連する。⇒「鳥の王の選挙」(鷦鷯と鷹が、太陽が最初に見たものが王になるという賭けをした。鷹は西を向くが、鷦鷯は東を向いて一番先に太陽を拝んだので、鳥の王になった。(東北から九州に類話が分布し、韓国や『イソップ物語』や『グリム昔話集』など、海外にも広く類話が分布するという)…重要なのは、「鷦鷯が太陽を発見したので鳥の王になった」こと、すなわち鷦鷯を太陽の象徴する観念の存在である。
○大雀(オホサザキ)と命名された王は、太陽王を意味するわけだから、「日の御子」と称えられて当然であろう。

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*** まとめ***
『古事記』にみえる「日の御子」には、「高光る」「高照らす」の修飾語が冠せられているが、唯一の例外は、「品陀の日の御子 大雀」である。→この歌謡こそ「日の御子」を使用した最初であり、「日の御子」の詞章に関する問題の本質がここに存在する。
●それを解く鍵は、昔話「鳥の王の選挙」にあると考える。
わが国でも最も小さな鷦鷯が猛禽類と争って勝利を得るという話型が存在した(仁徳天皇が異母妹の女鳥王を異母弟の隼別王子と争う物語)
●五世紀の王統の祖的位置にある王(仁徳天皇)が大雀(オホサザキ)と命名された。⇒背景には、サザキを太陽の象徴とし、サザキの名前を持つものは太陽王を意味し、それは「日の御子」そのものであった。…王家には日神崇敬が進展していたと考えられる。
●しかし、「日の御子」は、天皇・皇子一般に用いられた表現ではなく、かなり特別な表現であったと推考される。

・平林先生…「この新説は、学会などに認められるには、これから10年以上かかるでしょう」