(%緑点%)後期講座(歴史コース)の第2回講義の報告です。
・日時:9月10日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:第一次世界大戦後の世界
・講師:原田 敬一先生(佛教大学教授)
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*復習*(前回4月30日の講義)「第一次世界大戦」
・1914年に勃発した第一次世界大戦は、ヨーロッパを主戦場とし、足かけ5年に及ぶ「大戦争」で、戦車・潜水艦・戦闘機・毒ガスなどの近代兵器が使用され、戦死者は900万人以上であった。《今でも、英仏米の戦争記念日(慰霊祭)は11月(1918.11.11に休戦協定調印)》。
・日本にとっては、英に誘われて参戦し、主戦場がヨーロッパで戦死者も少なく、「大戦争」という認識はない。また、軍需品の生産や輸出に増大により、「大戦中」は空前の好景気であった。
・戦後の世界…英は戦争で疲弊し、世界最大の帝国の地位を失い、かわってアメリカが国際政治の舞台に登場。帝国ロシアは、戦中に発生した社会主義革命(ロシア革命)によって、孤立化していきます。
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.ヴェルサイユ体制とワシントン体制
○ベルサイユ体制〜戦後世界は国際協調を原則として始まった
・1919年6月28日仏のヴェルサイユで調印された講和条約
・戦勝大国(英米仏伊日)中心の国際協調体制
・ドイツの再起防止(過酷な賠償金、軍備の制限、海外植民地の剥奪)
・「国際連盟」の創設…世界秩序・平和の維持
(★米は、上院がヴェルサイユ条約の批准に拒否したため、国際連盟に加入しなかった。)
○ワシントン体制〜米英の主導で強化される国際協調〜
・1921年太平洋・東アジアの平和協調について話し合うため、英米仏伊日の五大国のほか、オランダ、中国など9か国で国際会議 ⇒米英は、急激に勢力を拡張してきた日本の海軍力と大陸・太平洋進出を.抑えることをねらっていた。日本側も1920年(大正9)の戦後恐慌で軍縮が財政上の要求になっていたし、米英の反日感情を緩和する必要もあった。
*四か国条約(日英米仏)[太平洋地域の領地の相互尊重]
*九ヵ国条約…中国の主権尊重・領土保全・門戸開放などが規定され、日本の中国進出を抑えようとした。→日本は、山東半島のドイツの権益(膠州湾)を中国に返還
*海軍軍備制限条約[海軍主力艦の保有率]
★日本とアメリカは、東アジアの秩序をめぐって主導権争いを繰り返すことになる。
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2.中国、ドイツ、ソ連の動向
○中国で広がる領土と主権回復運動
・五・四運動(1919年)…北京の学生、山東問題抗議の示威運動→全国化
・1919年6月…中華民国政府はヴェルサイユ条約調印拒否
・1923年…日本に21ヶ条約廃棄を通告
・1924年…中ソの外交関係の樹立
○ドイツの新しい動き〜ナチスの台頭と戦争準備
*世界恐慌(1929年10月ウォール街の株大暴落)で、ドイツでは失業者が620万人。
経済の混乱でナチスが台頭し、かつての大ドイツを復活させるというスローガンを掲げ、東欧での勢力拡大に乗り出す。
・1930年の選挙でナチス党が大躍進し、1933年1月、ヒトラー、首相に就任(ナチス政権)。1934年、ヒトラー、首相と大統領を兼任(総統就任)。
・1935年、ドイツは国際連盟を脱退、徴兵制による再軍備宣言。
○ロシアからソ連邦
*食糧危機から1917年ロシア革命…3月革命【各地に「ソヴィエト」(労働協議会)が結成され、革命運動】→11月革命【レーニン、社会主義政を樹立】→1922年ソヴィエト社会主義共和国連邦の成立
・国際的には、ソヴィエト(共産党政権)は孤立化。
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3.日本は中国と全面戦争を始めた
*右は、1937年(昭和12)7月に起こった「盧溝橋事件」を伝える朝日新聞の号外。
○十五年戦争(1931年〜1945年)
・1931年9月「柳条湖事件」…関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件→罪を中国軍に押しつけて奉天、長春を占拠《満州事変》。翌年、満州国建国宣言。
・満州侵略を諸外国に非難されると、1933年国際連盟を脱退して、国際的に孤立していく。
【「関東軍」の暴走の背景…汚職や腐敗の多い政党にうんざりした国民は軍部に期待。1932.5.15事件(海軍将校らによって犬養毅首相が殺害)、1936.2.26事件(陸軍将校に率いられた1400名の兵が、軍事政府樹立をかかげて首相官邸や警視庁を襲撃、大臣ら数名を殺害)クーデターは鎮圧されたが、軍の発言権は増大。日本は軍国主義の道を走りはじめる。】
・こうしたなか1937年7月、日中の偶発的衝突「盧溝橋事件」をきっかけに、日中戦争がはじまる。⇒日本軍は諸都市を落とすが、蒋介石の中国国民政府や中国共産党は徹底抗戦を崩さず、戦争は泥沼化。それでも日本は中国から撤退しなかったのである。
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***まとめ***
・第一次大戦中の日本は、大戦景気で好景気。しかし、戦争終結とともに、一転して不況に。→1920年代は長期の不況と断続的な恐慌に苦しむ。
・大正デモクラシーの波の中で、”人格の尊重”がうたわれ、大衆は新しい時代、新しい文化生活の夢を育んだ。しかし、バブル経済は崩壊、政党政治は混迷し、米騒動、関東大震災などを通して、社会不安、矛盾が深刻化。→不況の深刻化は、テロリズムを容認するような基盤を広げていった。
・また、不況からの脱出は、深刻な国際的な摩擦・対立を生みだしていた。軍部中心の「大東亜共栄圏」(満州国建設による「日満一体」の構想が拡張)が、日本の侵略を拡大させ、それが列強の経済制裁を呼んで、再び侵略を正当化させるという泥沼化した戦争拡大の道につながった。
○日中戦争が無ければ、日米戦争は無かったであろう。(原田先生)