太宰治の文学〜『斜陽』を中心として〜

(%紫点%)後期講座(文学・文芸コース)の第2回講義の報告です。
・日時:9月12日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:太宰治の文学〜『斜陽』を中心として〜
・講師:増田周子(ますだ ちかこ)先生(関西大学教授)
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(%エンピツ%)講義の内容
1.太宰治・略年譜
*写真(左側)(昭和21年秋、銀座のバー・ルパンにて)
・1909年(明治42)青森県の大地主津島家の六男として生まれる。本名津島修治。中学時代から同人雑誌を刊行。芥川龍之介の自殺に大きな衝撃を受ける。1930年東京大学文学部に入学。左翼運動にも関心。井伏鱒二に弟子入り(この頃、太宰治を名乗る)
・太宰の青年期は、自殺未遂・麻薬中毒・精神病院入院など苦悩の連続
・(作品)−『晩年』(1936年)、『富嶽百景』(1939年)、『走れメロス』(1940年)、『津軽』(1944年)、『ヴィヨンの妻』(1947年)、『斜陽』(1947年)、『人間失格』(1948年)など
・無頼派(太宰治、坂口安吾、織田作之助らの文学者に与えられる名称)
・1948年(昭和23)、山崎富栄と玉川上水に入水心中

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2.『斜陽』のあらすじ
「斜陽」は第1章から第8章まである長編小説。主人公かず子が語る物語(女性語りの最高傑作)。時代は戦中から戦後に移る中。愛人・太田静子の日記とチェーホフの『桜の園』をもとに書かれた。(昭和22年7月〜10月雑誌「新潮」に発表)
第1章〜第4章
「朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ。」と幽かな叫び声をお挙げになった。」・・・この小説は、はじまる。
・[主要人物]…かず子(主人公)、お母さま、直治(かず子の弟)、上原(作家)
・没落貴族で、父を失ったかず子とその母は、生活が苦しくなって、東京の家を売り払い、伊豆の山荘で暮らし始める。(かず子は、一度結婚したが、うまくいかず、母の面倒を見ながら暮らしてきた)
・弟直治は、戦地から帰るが、家の金を持ち出し、東京の上原のもとで荒廃した生活。
☆ 「僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけものの振りをしてみせたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。…けれども僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。どうも、くいちがう。・・・」 [夕顔日記(直治のノート)]
・直治は、自らの弱さと貴族出身に由来する苦悩を「夕顔日記」にいっぱい書き込んだ。
・直治を介したかず子と上原との出会い。
☆「私は、ことしの夏、或る男のひとに、三つの手紙を差し上げたが、ご返事がなかった。」
・かず子は、上原に会いたい旨の手紙を書くが、上原からの返事はない。

第5章〜第8章
☆「お母さまは亡くなったのだ。秋の静かな黄昏、看護婦さんに脈をとられて、直治と私と、たった二人の肉親に見守られて、日本で最後の貴婦人だった美しいお母さまが。」
・母は、結核で死ぬ。かず子は上原に会うために東京に行くが、上原は以前の面影はなく、別人になっていた。その夜、かず子と上原は結ばれる。
☆直治の遺書「姉さん。だめだ。さきに行くよ。僕は、自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。生きていたい人だけは、生きるがよい。・・・・・・姉さん。僕は、貴族です。」
・かず子が東京に行っている間、直治は遺書をしたため自殺。(直治は、民衆にもなれず、貴族にもなれず、変われない。)
・かず子は、上原の子を妊娠。
☆終章は、「私生児と、その母。けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。」と、かず子はシングルマザーとして、子と強く生きていく決意を、上原宛ての手紙を書いたところで、物語は終わっている。

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*右の写真は、青森県五所川原市にある太宰治の生家であった記念館で、〝斜陽館”と名付けられた。
***まとめ***(増田先生).
・お母さま…白のイメージ。真の貴族→黄昏時に死ぬ。美しさの象徴
・直治…戦争体験。庶民の生活を体験するが、しかし、庶民が理解できない。人間不信。革命する勇気が持てず、あと一歩で死ぬ。
・かず子…貴族であったが、庶民生活体験して強くなる。革命のイメージ。赤。次世代を強く生きる(道徳や常識の革命)
かず子の道徳革命…かず子(貴族の血を引く)と上原(芸術家・庶民)の子供は、今までの常識ではありえない出生。『斜陽』は、貴族と庶民のミックス、その新しい子が次の未来を切り開く物語。
・太宰は、女性と芸術が戦後の日本を担う重要な役割を果たすと考えていたのだろう。(「芸術」は、国籍、男女差など関係ない、普遍の尊いもの。)