(%紫点%)後期講座(文学・文芸コース)の第3回講義の報告です。
・日時:9月19日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:国宝『源氏物語絵巻』を読み解く−関屋巻を中心として−
・講師:浅尾 広良先生(大阪大谷大学教授)
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**[『源氏物語絵巻』平成復元模写プロジェクト]**
・国宝『源氏物語絵巻]は、紫式部が「源氏物語」を書いた(1008年頃)時から、約100年後(1120年頃)に54帖全体について作成されたと考えられる。しかし、かなり古い段階でその大半が失われ、装幀も大幅に変えられたと考えられる。→ 現存する絵巻は19図で、徳川美術館と五島美術館に所蔵。
・現存する作品は、色が褪(あ)せ、剥落が進み、当時の面影はない。→平成11年から平成17年にわたる「復元模写プロジェクト」で、できるかぎり原本と同じ素材・同じ技法で製作するという基本理念のもとに、19図すべての絵巻の復元が完成。
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(%エンピツ%)講義の内容
1.関屋巻および空蝉について(概説)
○帚木(ははきぎ)(第二帖)…空蝉との出逢い
・「雨夜の品定め」…五月雨が降る夜、光源氏が内裏で宿直(とのゐ)をしていたところに、親友の頭中将が訪れ、さらに左馬頭と藤式部丞が来て、四人による女性論(雨夜の品定め)が展開された。左馬頭は、中流階級の女性が面白いと主張する。
・光源氏は中流階級の女性に関心を持った。その後、光源氏は方違え(かたたがえ)のために、中川の紀伊守邸を訪れる。そこで紀伊守の父伊予介の後妻(空蝉)が来合わせていることを知る。光源氏は、その女性に興味を持ち、その寝所に忍び込む。(空蝉のたおやかでつつましく思慮深い様子に、思いのほか心惹かれるようになる)。…その後、空蝉の弟の小君(こぎみ)を使いとして再会をはかったが拒否された。
○空蝉(うつせみ)(第三帖)
・紀伊守が任国に行ってしばらく留守と知った中川邸を、光源氏は小君の案内で訪れる。夏の夕暮れ、空蝉と軒端の萩(紀伊守の妹)が碁を打っている。夜になって光源氏は空蝉の寝所に忍び込んだ。…(空蝉の名の由来−光源氏の求愛に対して、彼女が小袿(こうちき)(=薄衣)を残し逃げ去った。)
・空蝉は光源氏を全く嫌っていたわけではなく、伊予介と結婚する前だったら嬉しかったろうとも思っている。
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2.関屋巻(あらすじ)
○常陸より帰京の空蝉、逢坂で光源氏と出会う
〈常陸介となった夫に従い東国に下っていた空蝉は、任期を終えて都に帰る途次、逢坂の関にさしかかった時、石山寺に参詣に出かけた光源氏の行列と偶然行き合う。〉
・「…九月の末(晩秋)、紅葉のさまざまな色がまじりあい、霜枯れの草が濃く淡く一面に見渡されるところに、関所から、光源氏の君の一行が出てきました。…光源氏は、空蝉の弟を呼んで〝今日、私がわざわざ迎えに来た来たことを、無視しないでしょうね”」(偶然の出会いであったが、逢坂の関でわざわざ迎えに来たと光源氏は機転をきかす)。
・空蝉はひそかに歌を詠んだ- 「行くと来て せきとめがたき 涙をや 絶えぬ清水と 人はみるらむ」(常陸に行くときも帰るときも私が流した涙を、光源氏はそれをただ関所の清水と見るだけでしょう)
○光源氏、右衛門佐を通じて空蝉と文通する
〈光源氏は石山寺に参詣したあと、京に帰ってから、右衛門佐(うえもんのすけ).になっているあの昔の小君(空蝉の弟)を呼んで、空蝉に手紙をことづける。空蝉も返事をさし上げる。光源氏はそれからも折々に便りをだして女の心を惹こうとなさるのでした〉
○空蝉、夫と死別、河内守の懸想を避け出家
〈そうこうする間に空蝉の老いた夫(常陸守)は亡くなった。夫の子の河内守は継母の空蝉にすき心(好色な下心)があって言い寄ってきた。空蝉は、浅ましく思い、誰にも打ち明けず出家して尼になってしまった。〉
*空蝉ものちに末摘花と同じように二条院の東院に引き取られ、光源氏に庇護される。源氏との契り一度だけで、あとは源氏の愛を受けつけなかった。
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3.国宝「源氏物語絵巻」−関谷巻−
・現存する国宝の作品では、右のとおり、山の青さが少し残っていますが、美しい紅葉や衣服の色などは、褪せたり剥落が激しく判別しにくい。
・関屋巻の図は、物語に忠実に書かれていない。
(注1)この図では源氏一行と空蝉の一行は正面衝突している→(物語では)空蝉の一行は車から降りて、源氏一行の行列が通るのを待っている。
(注2)絵巻は、右から左に見ていくので、左側が都で、源氏は左側から右に行く構図で描かれるが、この関屋巻の図では、右が都側、左が常陸守・空蝉側になっている。
○「復元模写プロジェクト」−関屋巻ー
・大きな風景が描かれ、逢坂の関から琵琶湖まで遠望できる情景のなかで、源氏一行と空蝉の一行が出会う。
・時期は九月の晦日(晩秋)。「群青や緑青で描かれた美しい山並み」、「紅葉の色とりどりの木々」、「光源氏一行」と「常陸守・空蝉の一行」との対比、「空蝉の乗った車からこぼれてみえる袖口や裾の色合い」
・常陸守・空蝉の一行は先頭の空蝉の乗った牛車から最後は琵琶湖の右の二頭の馬、延々とした行列である。(地方官は蓄財して帰ってくる)
・源氏一行は二人の前駆と関の清水前を行く馬に乗った随身が見える。
*昔の人は、電気の光ではなく、家の中のかがり火で絵巻を見ていたので、色合いを含め、もっと幻想的に見ていたであろう。