『石川啄木』〜女たちをめぐる短歌〜

(%紫点%) 後期講座(文学・文芸コース)の第4回講義の報告です。
・月日:10月3日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:石川啄木−女たちをめぐる短歌ー
・講師:木股 知史(きまた さとし)先生(甲南大学文学部教授)
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(%エンピツ%)講義の内容
今日の講義では、石川啄木をめぐる三人の女性を取り上げます。三人の女性は、妻節子、橘智恵子、小奴で、歌集『一握の砂』『悲しき玩具』の中に登場し、それぞれの愛の形をたどります。

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Ⅰ.「妻を詠む」妻 節子

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
 −『一握の砂』の「我を愛する歌」より
【友はみな、それぞれところを得て安定して暮らしているように見える。世の中から脱落してしまったように感じて落ち込んだとき、花を買って帰り、妻と会話を楽しむ。…社会性よりも妻との私的空間を大切にしようという気持ちが表れている】

放たれし女のごとく、
わが妻の、振舞ふ日なり。
ダリヤを見入る。
 -『悲しき玩具』より
【「放たれし女」とは、イプセンの戯曲『人形の家』のヒロイン、ノラのように、家や夫の拘束から解き放たれた女性という意味。ノラのように、妻は、「私だって家を出たいと思うことがある」といったのかも知れない。夫は、妻から視線をそらせて、庭のダリアの花を見る。その深い色は、妻の心に隠された情熱を思わせる。】
○啄木は、妻節子にとってよい夫ではなかった。結婚式には出なかったし、豊かでない暮らしから脱却することができなかった。しかし節子は、夫の表現の価値と意味をよく理解していた。…啄木に破棄を依頼されていた日記や、小説の原稿は、節子によって残され、後世の読者は、啄木の全貌を知ることができる。

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Ⅱ.「純粋な記憶の愛を詠む」橘智恵子(函館・小学校の同僚の女教師)

かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど
 -『一握の砂』の「忘れがたき人人」より
【言いそびれた「大切な言葉」の内容は、直接的な告白ではなく、その女人の美しさ(たたずまいやしごとぶりなど)を賛嘆する言葉であったかもしれない。「胸にのこれど」という逆説による中止は、余韻を残す。言葉はついに伝えることはなかったが、「かの時」に感じたことは、「今」も大切に保存されている。』

君に似し姿を街に見る時の
こころ躍りを
あはれと思へ
 -『一握の砂』の「忘れがたき人人」より
【あなたがいるはずがない街を歩いていて、ふとあなたに似た人見つけてどきどきしている私をあわれだと思ってください。…実在の人の記憶が非在のイメージに変容してゆくのである。そのまぼろしこそが、恋の確かな記憶をつなぎとめてくれる。】
○啄木と智恵子とはプラトニックな愛。智恵子にも淡い恋心があった。啄木は『一握の砂』で特に一章を設けて(「忘れがたき人人 」)22首の歌を彼女に捧げた。

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Ⅲ.「遊びの恋を詠う」小奴(当時17歳。料亭の出前芸妓)

小奴といひし女の
やはらかき
耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり
 -『一握の砂』の「忘れがたき人人」より
【一般の女性の耳にそうたやすくふれるわけにはいかない。酒の席ゆえに、たわむれに小奴という芸妓の耳たぶに触れたことがあるのである。その柔らかい感触が忘れられない、というのだ。耳たぶにふれることを許したのは、仕事の上のことではない好意の現れであろうか。厳寒の中での暖色の記憶が耳たぶの感触に刻印されている。】
○釧路新聞の記者として取材する必要もあって花街に出入りした啄木と小奴は知り合う。文学少女で短歌も作り唄も踊りも群を抜いていたから、花柳界では評判の高い芸妓であった。啄木は小奴を妹のように愛した。小奴を詠んだ歌が十数首収められている。

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**あとがき**
・石川啄木[1886(明治19)年〜1912(明治45)年]…渋民村に育ち、幼き頃に神童と称されたが、住職である父の失敗により、追われるように村を去る。以来、北海道漂白と東京流浪の赤貧の日々の果てに、帰郷の夢かなわず、わずか26歳で世を去った啄木。その短い生涯に、歌のほかに詩、小説、評論を残した。
・啄木の歌は、単純でわかりやすそうに見えるが、近代の日本人の心の多面性を的確に表現している。
・『一握の砂』は、一行で発表した短歌を、新しい表現形式の「三行書き」(2首1ページずつ、4首を見開き)で、551首を収める。また、五つの章に歌を配し、物語のように自己の生涯を再構成するという独特の編集の工夫が凝らされています。