能楽・・・世阿弥の『頼政』を読む

(%紫点%)後期講座(文学・文芸コース)の第6回講義の報告です。
・日時:10月24日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:世阿弥の『頼政』を読む
・講師:天野 文雄先生(大阪大学名誉教授)
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1.素材−平家物語・巻四
世阿弥の『頼政』はの素材(出典)は、『平家物語』巻四-「橋合戦」「宮の御最後』 に拠りつつ、平家討伐を企て高倉の宮(以仁王)を擁して挙兵するも敗れ、二子を失い、宇治で自害した頼政の奮戦ぶりを描く。合戦の描写に重点が置かれ、敵方(平家)の忠綱(若武者・足利又太郎忠綱)の活躍ぶりが生き生きと描かれている。
★源頼政[長治元年(1104)〜治承四年(1180)]・・・保元の乱では源義朝らとともに戦ったが、平治の乱では平清盛に味方して家を守った。歌人としても著名で「千載集」「新古今集」などの勅撰集の60余首入集。…『平家物語』では、「源三位(げんさんみ)頼政』として登場(頼政が従三位に叙せられたのは治承二年(1178)で、清盛の奏請によりものであった。)…治承四年の以仁王の反平家運動で、頼政が謀反を勧める役を担う。平家から追討される以仁王・頼政は、奈良興福寺を目指して落ちる途中、宇治平等院に寄り追撃する平家軍と闘い、七十七歳の老将頼政は、自害して果てた。長男・次男をはじめ、一族も討死。平等院を脱出した宮(以仁王)は、奈良に向かう途中、矢の雨を浴びて、あえなく戦死(三十歳)。⇒頼政の挙兵は10日間で終わったが、以仁王の令旨は頼朝や義仲らに挙兵の名分を与え、治承・寿永の内乱の火ぶたを切ることになる。

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2.能楽−世阿弥の『頼政』を読む
○能楽『頼政』
【分類】二番目物。修羅能(老武者物)
【作者】世阿弥 【素材】平家物語・橋合戦ほか 【場所】京都・宇治 【季節】初夏
【登場人物】前ジテ(老人) 後ジテ(源頼政の霊) ワキ(旅の僧) アイ(里の男)
あらすじ
旅の僧(ワキ)が宇治の里を通りがかると、そこに里の老人(前ジテ)が現れて、数々の宇治の名所を教え、さらに平等院へ案内する。僧が平等院の庭に扇型に刈り込まれた芝を見つけ、その由来をたずねる。老人は、頼政が自害した「扇の芝」を教えたあと、自分が頼政の霊であると名乗って消えてしまう(中入)。…里人(アイ)が頼政の挙兵から討死までの経緯、高倉の宮の落馬、頼政の最期を語り、弔いを進めて退く。…夜になり読経する僧の前に、老体で甲冑姿の頼政の亡霊(後ジテ)が現われ、敗戦の様子を語り始める。高倉宮を奉じて挙兵、三井寺から南都に向かう途中、この宇治で平家を迎え討ったこと、味方の筒井の浄妙の奮戦、平家方の若武者田原の又太郎忠綱が馬を川に乗り入れ、兵をみごとに指揮して対岸に乗り上げた。これにより味方は敗退、頼政はもはやこれまでと芝の上に扇を敷いて辞世の歌「埋もれ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果ては あはれなるけり」を詠んで自害したことを語り、自分の供養を僧に頼み姿を消すのだった。

★世阿弥の「頼政」と『平家物語』の頼政
『平家物語』巻四の「橋合戦など」では、頼政の最期は、不遇であった自身の生涯を慨嘆する辞世とともに描かれているが、そのような頼政個人の感慨を、この世を前世から来世への中間とみる世界観(仮世界)へと展開したのが、世阿弥の「頼政」である。そのテーマを端的に表しているのが、「中宿」(なかやど)という語である。前場(まえば)で登場した老人(頼政の化身)が自分のことを「前世から来世への旅人」と言っているのは、「この世は中宿」という世界観の表れである。そのようなテーマを表現するためには、京と奈良の「中宿」である宇治は恰好の場であり、そこで展開された合戦が、まさにはかない現世における「蝸牛角上の争い(取るに足りない小さな争い)」だというのである。
*著名な「扇の芝」のことは『平家物語』諸本には見えない。応永三十年(1423)頃にそのような伝説があったのか、或は謡曲作者の創案したものであろう。

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3.能楽のあれこれ
・能とは、主人公が「能面」をつけて演舞する日本独特の演劇で、650年の伝統を持ち、ユネスコも無形文化遺産に指定されています。長い歴史で、存亡の危機もありましたが、今日まで脈々と受け継がれています。
・正直なところ、能は、初心者には、わかりにくいところが多い。今日の講義の参加者は、初心者と経験者が半々で、講義の反応は、良かったいう反応とわかにくいという反応に大きく分かれています。