『箸墓古墳内部立入りが明かす謎』・・・秋季・公開講座

(%緑点%)2013年秋季・公開講座の報告です。
・日時:10月29日(火)午後1時30分〜3時40分
・場所:大阪府立狭山池博物館2階ホール(大阪狭山市)
・演題:「箸墓古墳内部立入りが明かす謎」〜果たして卑弥呼は眠っているか〜
・講師: 森岡 秀人(もりおか ひでと)先生(日本考古学協会理事)
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*公開講座の参加者*
・参加者数:114名
・男女比:女性32名、男性82名
・年齢:57〜86歳
・地域:明石市・神戸市(兵庫県)、和歌山市、橿原市(奈良県)、豊能町(豊能郡)、枚方市、豊中市、吹田市、大阪市(東淀川区・東住吉区・大正区・住之江区)、寝屋川市、大東市、東大阪市、八尾市、柏原市、松原市、藤井寺市、熊取町(泉南郡)、和泉市、堺市、河南町・千早赤坂村(南河内郡)、河内長野市、大阪狭山市、富田林市からご来場いただき、厚くお礼申し上げます。(関係者一同)
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(%エンピツ%)講義の内容[要約]
*右の写真は「箸墓古墳」です。(ウィキペディアより)
〇箸墓古墳内部立ち入り観察の実現
[箸墓古墳は宮内庁の管理] :陵墓は『古事記』・『日本書紀』などの文献をもとに、江戸時代末期から明治時代に指定され、現在740ヵ所あるが、研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。
[箸墓古墳]: 正式な名称「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)・大市墓(おおいちのはか)」−第7代孝霊天王の皇女。最近の研究では出土遺物などから年代がずれていることが判明し、卑弥呼の墓という説がでている。規模は、墳丘長 280mの前方後円墳で200mを超える巨大古墳で最も古いとされる。大型なことを除けば、定形的な前方後円墳に比べ多くのイレギュラーな点が認められる。極端に開く撥形の前方部をはじめに、前方部4段、後円部5段とされる段築も最上段や最下段の認定を含め、異論が存在。 
[約130年ぶりに内部立ち入り]:1880年に立ち入りが禁止されてから約130年ぶり、2013年2月20日、奈良県桜井市箸墓古墳と天理市西殿塚古墳の2基の巨大前方後円墳の観察調査が実現。参加者は15学協会の16名の考古学・歴史学の研究者。…実際の観察は、午前10時頃から約1時間半、墳丘の下段を歩いて観察するだけの立ち入り調査で、撮影は自由ですが、発掘はダメ、測量もダメ、遺物の採取もダメという条件が付けられている。

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〇観察のようす(抜粋)
◆宮内庁職員の案内のもと、16人の研究者は、箸墓古墳前方部北西の隅角からその第一歩を踏み入り、テラスの狭い墳丘裾部分を最下段とする宮内庁の判断に基づき、後円部方向に右回りでゆっくりと歩きながら、自由に観察を開始。
◆しばらく歩くと、くびれ部に向かう前方部側辺の美しいカーブと大池沿いの葺石が数多く見えてくる。この部分の葺石は流失し動いたものである。(*右上の写真をご覧ください)
◆墳丘側では前方部側面の段築の有無について目を凝らして確かめたが、後円部との接続は不分明であり、完周するようなテラス面は視認できない。
◆古墳を横切るよう付けられた里道…奈良県立橿原考古学研究所が最近発表した赤色立体図からは、この農道が墳丘を鋭く断ち割るようすが見て取れ、所見は合致する。墳丘裾部から小さな谷地形が横断するように入り込んでおり、日常的な道であることを想像させる。(*右下の写真をご覧下さい。)

◆後円部では大小の葺石が確認された。大きい石材は基底石が動いたものとみられ、これらは近在の巻向川流域や初瀬川流域の河原石が運ばれてきたようである。
◆注目すべき石材として、大阪府柏原市の芝山玄武岩の板石も数個確認。竪穴式石槨やその裏込め以外の場で用いられたことを推測。しかし、かなり低位置にも存在が確認できることから、多様な使用法が考えられる。
◆南側くびれ部付近では、土器の散布が認められた。中世・近世・近代の土器・陶磁器に混じって、箸墓古墳築造前の高坏の脚部など弥生土器片や古式土師器片が存在していた。
◆特殊器台や特殊壺、特殊器台形埴輪や壺型埴輪、二重口縁壺の破片などは未確認。
◆前方部先端における段築は下位の斜面にも段差を認め、全部で4段になると観察した。…(以下、省略)
〇箸墓古墳出土品(土器・埴輪)(宮内庁書陵部調査資料)…(省略)

《森岡先生の感想》
「中学校の部活以来の宿題の一つが無事に終わったと同時に、学問的関心が新たに加わった箸墓立ち入りの貴重な時間であった。」
「前方部と後円部の接続状態や平坦部の長さなど、箸墓古墳の規格を実感できた。葺石は年代研究に役立つ史料。築造時期に極めて近い弥生最末期の土器もあり、箸墓古墳に邪馬台国が係わる情報が得られた。」

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◇学芸員による狭山池博物館の見学
・当日、午前11時から1時間半、村上学芸員による博物館の展示などの解説。約15名が参加。…右の写真は、1400年間の歴史が積み重なる、高さ15.4m、幅62mの狭山池の堤です。
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*アンケートより(感想)(抜粋)
・最先端の現地調査をした先生の話で、資料とスライドの講座で話も比較的よくわかり満足しました。(男性 70代)
・ワクワクしながら、楽しく勉強させていただきました。(女性 70代)
・おもしろい話ですが、難しいですね。(女性 60代)
・貴重な話を聞くことができて良かった。ただ、後半は少し専門的になり、理解不足になりました。(男性 60代)
・おもしろかったが、話が速いので解らなくなるところが出てくる。何回かわけてゆっくり又聞きたいです。(女性 70代)
・配布資料と説明がスムーズにかみ合っていないので、わかりにくかった。スライド編ととりまとめ編を分けてほしかった。また、短時間では、土器の話は分かりにくい。(男性 60代)