(%紫点%)「後期講座(文学・文芸コース)」(9月〜1月:全13回講義)の第9回講義の報告です。
・日時:12月5日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:時実新子の魅力とわたくし発の川柳
・講師:平井美智子先生(大阪市生涯学習講師)
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○時実新子(ときざね しんこ)「略歴」(1929年〜2007年)
*(右上の写真が時実新子さん)
・1929年岡山市生まれ。川柳作家。季刊誌『川柳展望』主宰。戦後17歳で見合結婚、姫路の文具店の大家族の中で暮らす。主婦として家事育児に忙しい20代、ふと出来た一句「お遊戯の輪になるピアノなりつづけ」の句で神戸新聞川柳欄に初入選、その後50年を超える川柳人生の始まり。63年、句集『新子』で柳壇にデビュー。87年に夫ある女の恋を詠んだ句集『有夫恋』がベストセラーになる。95年、阪神・淡路大震災後、句集『悲苦を超えて』を発表。2007年3月神戸・六甲病院にて永眠。享年78歳。
・句集…『新子』、『月の子』、『猫の花』、『有夫恋』他
・小説・エッセイ…『小説新子』、『指先の恋』、『愛ゆらり』、『死ぬまで女』他
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○新子川柳(時実新子全句集より抜粋)
1955〜1964(26歳〜35歳)
竹光で斬られて母は死んでやり
嫁ぎ来て十年恋はまだ知らず
子を膝にこの重みこそ確かなり
茶碗伏せたように黙っている夫
子は日々に育ってむごいことを言う
1965〜1974(36歳〜45歳)
ほんとうに刺すからそこに立たないで
なわとびに入っておいで出てお行き
投げられた茶碗を拾う私を拾う
どうしても好きで涙が膝に落ち
男の家に赤い三輪車があった
1975〜1989(46歳〜60歳)
れんげ菜の花この世の旅もあと少し
ひと言も言わずに母は粥をにる
菜の花の風は冷たし有夫恋
間違いは間違い通せ桐の花
愛咬やはるかはるかにさくら散る
1990〜(61歳〜)
かきつばた今淡々と人が好き
よく似た運さ朝顔も夕顔も
愛そうとしたのよずっとずっとずっと
平成七年一月十七日 裂ける
三月に死ねたらしばらく春ね
*右上の二句は、時実新子の自筆です。
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○「わたくし発の川柳」
・「いつも「わたくし」発で、だれか一人に向けて作ること。その人だけに向けて書き、大向こうを意識しないことです。そうです。本音を吐きましょう。泣いて笑って納得のいく本音の五七五はカタルシスになり、積めばおのずと自分史にもなります。…(中略)…大切なのは心です。」(「NHK趣味悠々」(時実新子のハッピー川柳塾・テキストより)