『天誅組の道を辿る④』〜五條を歩く〜(天誅組150年)

(%青点%) 文久三年(1863)8月14日、天誅組挙兵。京都東山の方広寺に集合。中山忠光を盟主とする尊皇攘夷派の志士たち。倒幕のための孝明天皇の大和行幸に呼応し、その先鋒にならんと決起した。天誅組の変は、明治維新の魁(さきがけ)となるもので、五條が明治維新発祥の地と言われる。
*右は、五條市にある「史跡公園」で、天誅組によって焼き討ちにあった代官所が新たに設置された場所。現在は長屋門が残り、民俗資料館として利用されて、天誅組関係の資料・写真などを展示している。庭園には「天誅組150年記念」の石碑が設置されている。
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・「天誅組の道を辿る①」(2012.4.29)〜狭山・報恩寺から富田林・水郡邸まで〜
・「天誅組の道を辿る②」(2012.5.27)〜川西駅から滝谷不動駅まで〜
・「天誅組の道を辿る③」(2012.12.2)〜三日市・油屋から観心寺まで〜
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○「天誅組の道を辿る④」〜五條を歩く〜
・集合場所・時間:12月7日(土)南海高野線・河内長野駅 8時30分集合
・【コース】:JR和歌山線二見駅(10時)−西方寺−新町通り−幻の五新線跡−町並み伝承館−餅商一ツ橋−栗山家−御霊神社−桜井寺天誅組本陣−五条代官所跡(現・五條市役所)−民俗資料館・史跡公園(昼食)−吉野川堤防−金剛寺−栄山寺−宇智川麿岸碑−JR五條駅(16時解散) (約8km)
・参加者:21名
・スタッフ:佐藤リーダー、置田、房田
・天候:晴れ時々曇り

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(%エンピツ%)「新町通り」(五條市新町)
五條は、多数の街道や吉野川の水運など交通の便に恵まれ栄えた。旧紀州街道沿いにある新町通りは、現在も江戸時代の町家が軒を連ね、往時を偲ばせる。(国の重要伝統的建造物群保存地区の選定)

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(%エンピツ%)「桜井寺」(天誅組本陣)(五條市須恵)
天誅組が本陣として、五條新政府を号した桜井寺。さらし首となった代官鈴木源内の首を洗ったとされる首洗鉢も残されている。

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(%エンピツ%)「五條代官所跡」(現五條市役所)(五條市本町)
文久三年(1863)8月17日、午前6時過ぎに三日市・油屋旅館を出発し、観心寺の楠木正成首塚に詣で、千早峠を越えて、五條に入り、午後4時頃、五條代官所を焼き討ち。→。翌日、 “8月18日の政変”で、天誅組は一転して反乱軍。幕府との攻防戦の末に、9月24日吉野郡鷲家口で、ほとんど全滅した。天誅組の変は、尊皇攘夷派によって試みられた最初の反幕府の武装蜂起であった。(明治維新が実現するのは、このわずか5年後のことでした。)

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(%エンピツ%)榮山寺(えいさんじ)(五條市小島町)
*右の写真は、火災や兵火を免れた奈良時代の建築である国宝・八角円堂。
藤原不比等の長子武智麻呂が養老三年(719)に建立したと伝えられる。真言宗豊山派の寺。境内には国宝2点、重要文化財5点を有する。武智麻呂を祖とする藤原南家の菩提寺として鎌倉時代になるまで栄えた。もう一つの国宝は、手に触れることのできる国宝・梵鐘。銘文から延喜十七年(917)製作。京都の神護寺、宇治の平等院の鐘とともに「平安三絶の鐘」として知られている。