モンゴル襲来

(%緑点%)後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全15回講義)の第13回講義の報告です。
・日時:平成26年1月7日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:モンゴル(蒙古)襲来
・講師:若井 敏明先生(関西大学非常勤講師)
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**関係年表**
・1260年:フビライ即位
・1268年(文永5):モンゴル国書到来、北条時宗、執権に就任。
・1271年:元王朝の成立(モンゴル、国号を大元と定める)
・1274年(文永11):文永の役
・1275年:この年、幕府、異国出兵を計画
・1276年:幕府、博多湾岸に石築地の築造をはじめる
・1281年(弘安4):弘安の役

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(%エンピツ%)講義の内容
1.ユーラシアの変貌「モンゴル帝国の成立」
モンゴルの拡大は、日本や朝鮮半島・中国・東南アジばかりでなく、ユーラシアの東西、そして南北を襲った。まず、ジンギスカンの時代(1206〜1227年)に、モンゴル高原の統一に成功→西夏の滅亡(1227年)→金の滅亡(1234年)→フビライカンの即位(1260年)→元王朝の成立(1271年)

2.モンゴルの日本政策
「蒙古牒状」(1266年付)*右の資料を参照
「大蒙古国の皇帝(フビライ)は書を日本国王に奉る。…日本は高麗と近接し、中国に時々使いを遣わしてきた。しかし、朕(フビライ)の時代になってからは一人の使いも親交を結びに来たことがない。…願わくは今後お互いに訪問しあい、親交を結び、親睦を深めようではないか。…兵を用いるようなことをどうして好むであろうか」
◆武力行使をちらつかせながら日本に服属を要求する蒙古の牒状(ちょうじょう)は、1266年に発せられた(日本への使者を高麗に案内させたが巨済島から引き返した)。→フビライの厳命を受けた高麗使が大宰府に来たのは1268年で、牒状は鎌倉に届けられた。…その後、蒙古・高麗.の使節は計5回来ているが、日本(時の執権・北条時宗)は服属要求を拒んだ(返牒を出していない)。

3.モンゴルの襲来(元寇)
「文永の役」(1274年・文永11年10〜11月)
◆《日本側の苦戦》(右の資料を参照)
「蒙古軍は司令官の攻め太鼓、退き太鼓に合わせて整然と集団戦法。さらに鉄砲(てつはつ)(鉄球・陶球に火薬を詰めたもの)という武器の爆発音に、武士らは肝をつぶし、戦意を減退させた。これに対し、鎌倉武士の戦法は、功名を立て恩賞を得ることを目的に戦う個人戦法。異国の軍隊には個人戦法は通用しなかった。一騎打ちをのぞんで進み出てくる鎌倉武士を両側から取り囲んで殲滅。」
◇元は朝鮮半島から3万の大軍を送り出し、対馬・壱岐を制圧し、10月20日未明に博多湾岸に上陸。→蒙古軍、優勢のうちに推移し、日没とともに博多湾内の自船にもどった。→そして、撤収。…(その夜、玄界灘に[暴風雨] が襲ったといわれる)。

*最近では、「わずか一日の戦闘で、せっかくの陸上地点を簡単に放棄していることが示すように、一回の侵攻で日本を征服すことはそもそも意図されていなかった」と考えられている。(様子見というか、日本の実力を瀬踏みしたのだろう。)

「弘安の役」(1281年・弘安4年5〜8月)
◇日本側の準備…元軍の再襲来にそなえて博多湾一帯に石塁「石築地(いしついじ)」を造り、各武士団の配置や全軍の指揮系統も整えられた。
◇フビライは、14万という大軍を日本へ派遣した。朝鮮半島の4万の東路軍と10万の兵士と3,500艘(兵船)の江南軍が日本に来襲。江南軍には、武器よりも農器具を携帯する人もいた。⇔元側としては、今回はある程度の「恒久占領」というか「集団入植」を考えていたのであろう。
◆しかし、前回とはことなり、元軍は石築地にはばまれ、日本軍に圧倒された。→旧暦の九月一日、【台風】で大半の船が転覆し元軍は絶滅状態になる。…その後、元(モンゴル)は、日本への再々出征を計画したが実行しなかった。

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**モンゴル襲来の影響**
1.鎌倉幕府の支配権が西日本まで広がる。(非御家人まで支配下)
2.戦時体制はその後も続いた。(幕府の力が強くなる)
3.幕府への不満…御家人に十分な恩賞無し(元寇の戦いは自衛戦争)
・北条氏の守護職独占、北条得宗専制(北条氏の家督に権力が集中した専制政治)の強化は、御家人(巨額な出費や犠牲により貧窮化)の不満を強め、幕府の支配力が弱体化する。
・貨幣経済の浸透→徳政令
4.神国思想…神風が吹いた(不敗信仰)