「古事記にみる愛のかたち」〜仁徳皇后・磐之媛と女鳥王〜

(%紫点%)後期講座(文学・文芸コース)(9月〜1月:全13回講義)の第11回講義の報告です。
・日時:H26年1月9日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:古事記にみる愛のかたち〜皇后・磐之媛と女鳥王〜
・講師:奥村 和子 先生(カルチャー講師・詩人)
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**『古事記』について**
古事記は日本最古の歴史書[成立は和銅五年(712年)]。神々と天皇家の系譜のほか神話・伝説、それと多くの歌謡が含まれていて、神々や歴代天皇の恋と野望に満ちたドラマが登場。
○『古事記』下つ巻「仁徳天皇(第19代天皇、大雀命(おおさざきのみこと)」
・聖帝の御世
・皇后の嫉妬と吉備の黒日売
・皇后石之比売命
・八田若郎女
・速総別王と女鳥王

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黒日売への嫉妬
皇后・磐之媛の嫉妬 
「磐之媛はたびたびひどく嫉妬された。それで天皇が使っていた侍女たちは、宮殿の中にはいっていくこともできなかった。侍女たちが何か平素と異なったそぶりをみせると、皇后は足ずりをして嫉妬された」。
吉備の黒日売 (黒日売を追い返す)
「天皇は、吉備の黒日売(くろひめ)が容姿が整って美しいとお聞きになって、宮中に召し上げてお使いになった。しかし黒日売は皇后の嫉妬を恐れて、故郷に逃げ帰った。天皇は高殿(たかどの)にいて、その黒日売の乗った船が難波の海に出て浮かんでいるのをはるかに見て…【沖方には 小舟連らく 黒ざやの まさづ子我妹 国へ下らす】(意訳:沖の方には小舟が並んでいるよ。黒ざやの美しい娘、私のいとしい女が故郷へ下っていかれることよ)…とお歌いになった。すると、皇后はこの歌を聞いてひどくお怒りになって、人を難波の大浦に遣(つか)わして、船から黒日売を下ろさせ、陸路を歩いて帰らせた。…その後、天皇は恋しさのあまり、皇后に嘘をつき、こっそり黒日売に会いに行く…」(以下、省略)。

八田若郎女への嫉妬 (怒りて高津宮に帰らない磐之媛)
「皇后が紀伊国にいった留守の間に、仁徳天皇は異母妹の八田若郎女(やたのわきいらつめ)と結婚なさった。…(中略)皇后は、この事を知ってたいそう天皇を恨みお怒りなって、採りに行って船に積んだ御綱柏(みつながしはー酒を盛る盃にする柏の葉)をすっかり海に投げ捨てた。そして皇后は宮殿には戻らないで、船を綱で引いて運河を遡った。難波の海から淀川を山城国に上っていかれた。…皇后を気遣う天皇は、使いに歌を託して、難波の宮殿に戻ってくるように幾度となく説得を試みる。…」。(以下、省略)。

恋と反逆に生きた女鳥王
(*右上は、速総別王と女鳥王の恋の逃避行の行路について説明)
速総別王と女鳥王 
「天皇は、弟の速総別王(はやぶさわけのみこ)を仲人として、異母妹の女鳥王(めどりのみこ)を所望になった。すると女鳥王は、速総別王に向かって《皇后のご気性が激しいので、天皇は八田若郎女をも妃にお迎えになりません。ですから私もお仕えしません。 私はあなたさまの妻になりましょう》、と語って、そして二人は結ばれた。…(中略)。女鳥王は、【雲雀は 天に翔る 高行くや 速総別 雀取らさね】(意訳:雲雀(ひばり)さえ、天高く翔ぶのです。速総別の王よ、雀(さざき=仁徳天皇)をお取りなさいませ)…とお歌いになった。」→「天皇はこの歌をお聞きになって、すぐに軍勢を集めて二人を攻撃した。速総別王と女鳥王は一緒に逃げしりぞいて、倉橋山(奈良県桜井市)に登った。…そして、そこから逃亡して、宇陀の蘇邇(奈良県宇陀郡曽爾)に着いたとき、天皇の軍勢が追いついて二人を殺した。…」(以下、省略)
*(注1):腹違いの兄弟姉妹間の男女関係は許されていた。
*(注2):雀(さざき)=仁徳天皇(小鳥みそさざいの古名)、隼(はやぶさ)=速総別王

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**あとがき **
★『古事記』は、我々の心に響く叙事詩。人間の原点の愛とか性がなまに書かれています。
・皇后・磐之媛(イワレヒメ)の嫉妬…出自が良い(有力豪族・葛城氏の娘で、皇族以外で初めての皇后。履中・反正・允恭天皇の母。)ので、プライドが高く、妬み深かった。⇔そんなイワレヒメに悩まされながら、それでも天皇は懲りずに美しい女性には目がなかった。
・古事記に語られた女は、「自己の意志で決定する。自己の思いを忠実に。迷うことなく決定する。」…古代のたくましい生です。

☆右上の「恋の道行き」は、「女鳥王と速総別王」を歌った奥村先生の自作の詩です。