『田辺聖子の人生と作品』

(%紫点%)後期講座(文学・文芸コース)(9月〜1月:全13回)の第12回講義の報告です。
・日時:1月16日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:田辺聖子の人生と作品
・講師: 住友 元美先生(田辺聖子文学館 学芸員)
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田辺聖子の人生−生い立ちから現在
(*右上の写真について−左側はOL時代(金物問屋に勤めていた頃)、右側は「婦人生活」に掲載(執筆風景を撮影))
・1928年(昭和3)大阪市生まれ。生家は〈田辺写真館〉(大世帯20人以上が暮らす、賑やかな家)。
*〔文学少女 〕…子供のころから本が大好き。樟蔭女子専門学校時代(17歳〜20歳)、小説を書く(挿絵も自分で画く)。学徒勤労動員で工場で働く。空襲/終戦/戦後の葛藤。
*〔OL時代・文学修業時代〕…金物問屋に入社(22歳〜27歳)。7年間勤務して退職後、大阪文学学校や同人誌で文学修業を続ける。
*〔『花狩』と『感傷旅行』−芥川賞受賞へ〕…昭和33年(30歳)、最初の単行本『花狩』刊行。1964年(36歳)、『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で第50回芥川賞を受賞。
*〔結婚、そして大家族での生活(神戸時代)〕…1966年(38歳)、神戸市の開業医川野純夫氏(カモカのおっちゃん)と結婚、大家族(11人)。この時期に多くの作品を書く。
*〔年齢を重ねて(伊丹へ〜)〕…1983年(55歳)、伊丹市内の現住所に転居(川野氏と二人の生活)。直木賞初の女性選考委員(1987年)。阪神・淡路大震災被災(1995年)。田辺聖子文芸館開館(2007年)。伊丹市名誉市民となる(2009年)。

田辺聖子の作品−田辺文学について
(*右は、田辺聖子文学館の「文学ウォール」で、壁いちめんに、びっしりと作品を展示。収蔵作品は約400点。)
作家生活55年・著作270冊以上
多様な作品(小説、エッセイ、評伝、古典など作品のジャンルは広い)
・ユーモア小説(庶民・中年もの):『すべってころんで』(1973年)、『姥ざかり』(1981年)他。
・恋愛小説(夢見小説、ハイミスもの):『猫も杓子も』(1969年)、『ペットの思惑』(1985年)他。
・評伝小説:『花衣ぬぐやまつわる…わが愛の杉田久女』(1987年)、『ゆめはるか吉屋信子』(1999年)他。
・古典小説・古典案内:『文車日記』(1974年)、『隼別王子の叛乱』(1977年)、『新源氏物語(一)』(1978年)、『おくのほそ道』(1989年)他。
・エッセイ:『おせいカモカの対談集』(1981年)、『楽老抄』(1999年)他。
・自伝的作品:『楽天少女通ります−私の履歴書』(1998年)他。
受賞歴
芥川賞など数多くの文学賞を受賞。2008年文化勲章を受章。

(受賞したことについて)
「体内にインプットされている漢語を使い、思うままに書いたの。そしたら賞をくれたんです。ロバが口きいたと思ったんやない。」(田辺聖子)
[右の資料は、2008年田辺聖子の文化勲章受賞理由]
(要旨)「鋭い人間観察」、「ユーモアにつつんだ作品を数多く」、「特に中年男女の心の機微や独身女性の愛と孤独を主題とした作品には定評」、「古典に造詣が深く、古典評論、古典取材の新作」、「軽妙なエッセイ」、「大阪言葉を駆使した文章」。

田辺聖子の作品に通底しているもの
市井の人・庶民
舞台としての大阪(関西)
見についた言葉としての大阪弁
愛とユーモア、時代(昭和)
平和・文化⇔戦争

「愛とユーモアを私の書くものの目標にしているのに、それがなくなればどうなるかという、裏と表、陽と陰を見るような世界で、相反するけれども、同じように貼り合わせになっているのだもの。」(『楽天少女通りますー私の履歴書 1988年)

『花狩』に込められたもの−大阪・庶民・ユーモア・戦争
初めての長編小説、初めての単行本、初めて「田辺聖子」として書かれた20代の作品です。
(*右の資料は、『婦人生活』1958年3月〜12月に連載された第一回『花狩』です。挿絵は有名な岩田専太郎)
「物語は、明治・大正・昭和の歴史が、主人公「おタツ」の人生を描きながら語られていく。大阪、福島の地場産業であったメリヤス工場でミシンを踏む女工がおタツ。惚れた亭主・半次郎と共に独立。景気の良い時はちょっぴり。不景気、大火事、病魔に戦争、息子正太の出兵と戦死。そのなかで、おタツは強靭な生活力をもって決してへこたれない。文章はリズミカル、関西弁でよみやすい作品。」
◆「花狩」に込められたもの…「自分史的要素(周辺の人々)」、「時代考察(大水・空襲・戦後の経験)」、「庶民文化」、「大阪弁、故郷への郷愁」、「主人公の性格(生命的・楽天的)」

*** あとがき***
◇近年の復刊ブーム
最近は、若い女性に田辺聖子ブームとのことで、女性誌に特集が組まれたり、昔の本が復刊されたりしています。(時代が変わっても、恋愛の悩みは変わらない。)

◇繋いでいくこと・伝えていくことの大切さ
田辺聖子の作品は、“軽いもの”、“読みやすいもの”と捉えられています。田辺聖子自身も「ひらかなで考えたらええねンよ。〈ひらたい言葉〉で伝わることは、ほんまに多いから」。(〈ひらたい言葉〉を使うには、豊富な語彙と、それを駆使できる技術が必要です)。…「戦争・敗戦・祖国復興という驚天動地の時間が流れた昭和について、わが想いのタケを書きとどめたい。私の昭和を書かなければならない」。(田辺聖子)

*第150回直木賞の朝井まかてさん〈受賞作「恋歌」(れんか))は、芥川賞作家の田辺聖子さんや玄月さんらを世に送り出した大阪文学学校(大阪市中央区谷町)で学んだ。(2014年1月17日朝日新聞・朝刊)