『紫式部日記』〜心と言葉〜

(%紫点%)平成26年・前期講座(文学・文芸コース)(3月〜7月:全13回講義)の第1回講義の報告です。
・日時:3月6日(木)午後1時30分〜3時40分
・会場:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:『紫式部日記』〜心と言葉〜
・講師:小野 恭靖先生(大阪教育大学教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.『紫式部日記』の概要
・平安時代成立の仮名日記。紫式部作。寛弘五年(1008)秋から七年正月までの三年間にわたる、宮廷の諸行事や盛儀を記述した記録的部分と、自己の回想や感懐を述べた随想的部分とが併存している。
・舞台は、土御門(つちみかど)邸(道長の邸宅)=里内裏(中宮彰子が皇子出産で里に帰る邸宅)。
・旧暦七月中旬頃の土御門邸の秋の風情から筆をおこし、九月十一日、中宮彰子の敦成親王のご誕生を中心に、その前後の様子や産養の盛儀、一条天皇の土御門殿行幸、五十日の祝宴など諸行事を丹念に記している。その間に中宮や道長や同僚女房などの人柄・風貌を描き、交友や宮仕えについて感懐を述べている。ついで、盛儀に陪席した女房たちの服装や容姿などを記述し、性格などを批評。続いて、和泉式部、清少納言らの当代の才女を批評し、最後に自己の性格や心境を語っている。
・一条天皇の中宮彰子(しょうし)→父・藤原道長。[一条天皇の中宮定子(ていし)は、道長の兄、藤原道隆の娘]。…彰子に仕えたのが紫式部。定子に仕えたのが清少納言。

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2.『紫式部日記』を読む (抜粋)
[一]土御門邸の秋—寛弘五年七月中旬 (*右の文章を参照)
*冒頭文「秋のけはひ入りたつままに、土御門殿の有様、いはむかたなくをかし。・・・(省略)」(旧暦:秋は七月、八月、九月)
【訳】(秋を思わせる気配があたり一帯に立ち込める土御門邸は、いいようのないくらい情緒深い。…(中略)…僧たちの夜どおし安産を祈るお経の声々も、いっそう身にしみることであった。…(中略)…御前(中宮さま)も、おそばに仕える女房たちが、とりとめのない話をするのをお聞きになりながら、さぞ大儀(中宮は妊娠九か月の身重)であろうに、そんなご様子も見せないで、何気ないふうを装っておいでになる…このような宮様をこそ、お探ししてでもお仕えすべきだったのだと、日ごろのふさいだ気分とはうって変わって、いっさいの憂鬱が忘れられてしまうのも、いっぽう考えてみるとまた不思議なことではある。

[四八]和泉式部・赤染衛門・清少納言批評 (*右の文章を参照)
*当代の才媛について、才能や性格を批評した有名な段。
【訳】・(和泉式部という人は、趣深く手紙をやりとりしたものです。しかし、和泉には感心しない面があります。気軽に手紙を走り書きした場合、ちょっとした言葉にも、にほひ(色艶)が見えるようです。和歌は、とても趣があります。しかし、和歌の知識や理論は、それほど精通していないようです。…(中略)…こちらがはずかしくなるほどの、すばらしい歌詠みとは思われません。)
・丹波の守の北の方=赤染衛門(省略)
・(清少納言は、実に得意顔をして偉そうにしていた人です。あんな風に利口ぶって、漢字を書きちらしているのも、よく見ると、まだひどく足りない点がたくさんあります。このように、人より優れようと思い、またそうふるまいたがる人は、きっと後には見劣りがし、ゆくゆくは悪くなって行くものです。いつも風流ぶっている人は、とても寂しくつまらないときでも、しみじみ感動しているようにふるまい、興あることも見逃さないようにしているうちに、しぜんとよくない浮薄な態度にもなるのでしょう。その浮薄になってしまったしまった人のはてが、どうしてよいでしょうか。)
◆和泉式部、赤染衛門、清少納言について、同じ宮廷女房の同時代批評として価値あるもので、中でも清少納言に対する批評は激しい。

[五一]日本紀の御局・楽府御進講 (*右の文章を参照)
*紫式部の漢詩文についての素養の深さを伝えるエピソード。漢字の素養のあることをつとめて人前にはあらわさないようにしていたことが記されている。
【訳】(左衛門の内侍[橘隆子(女房)]という人がいます。私をなにか快からず思って、いやな陰口がたくさん耳に入ってきました。一条天皇が、源氏の物語を人に読ませてお聞きになっていたときに、「この人はあのむづかしい日本書紀を読んだであろう。本当に学識があるらしい。」と、仰せられたのを、この内侍が「紫式部はとても才(漢才)がある」と、殿上人などにいいふらして、私に日本紀の御局(みつぼね)とあだ名をつけたのでしたが、まことに笑止千万なこと(腹立たしい)。自分の実家の侍女たちの前でさえ、漢籍を読むことを憚(はばか)っておりましたのに、宮中のようなところで、どうして漢才があることをひらけらかしたりするのでしょうか。式部の丞(紫式部の弟)が、まだ子供の頃に漢籍を読んでいたとき、私はそれをそばで聞き習って、不思議なほど早く理解しましたので、父は「残念だ。この娘が男の子であったならば」と嘆いておられた。
◆紫式部の自己顕示。

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***あとがき****
・小野恭靖先生の本日の講義は第7回目となります。そのなかで、「心と言葉」シリーズは、『徒然草』、『方丈記』、『枕草子』、『土佐日記』、『紫支部日記』を読み、次回は、『更科日記』の予定(平成26年9月)です。