『平家物語を読む』〜清盛の悪行〜

(%緑点%)前期講座(文学・文芸コース)の第5回講義の報告です。
・日時:4月10日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:『平家物語を読む』〜清盛の悪行〜
・講師:四重田 陽美先生(大阪大谷大学教授)
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*平家物語(巻第四、巻第五)*時代背景
治承四年(1180)
・4月9日:源頼政、以仁王に平家追討の令旨を請う(→5月10日伊豆北条の流人頼朝に令旨下る)
・5月15日:清盛の軍兵、以仁王の御所を攻める。宮は女装して三井寺に逃れる。
・5月23日:頼政以下自害、以仁王流れ矢で死す。(宇治川合戦)
・5月26日:【三井寺炎上】平重衡、忠度、一万余騎で三井寺を攻め、堂舎を焼く。
・6月3日:【都遷り】安徳天皇、福原に行幸。福原遷都。

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(%エンピツ%)講義の内容
『平家物語を読む』〜清盛の悪行〜
「悪行」(悪とは)強引にその道を進むことをいい、強さを表す。(例)悪左府(左大臣)藤原頼長
(あらすじ)
1.平清盛、寺を焼く「三井寺炎上」〈『平家物語』巻第四〉(右の資料を参照)
以仁王を奉じて謀反を起こした三井寺・興福寺は朝敵である。まずは、三井寺を討つべし。
■【今回は比叡山延暦寺は静かにしている。この機を逃さず、平重衡、平忠度は一万余騎で三井寺に向かった。寺側も、堀をほり、楯を組み立て、逆茂木を張りめぐらして待ち受けた。午前六時に矢合わせをして、一日中戦ってすごした。防戦側の僧兵たち以下の法師ら三百人以上討たれた。夜になって、官軍は寺に攻め入って火を放つ。焼けたのは、本覚院、真如院、大宝院、本尊弥勒菩薩、大日・釈迦・阿弥陀の三尊を安置する大講堂、鐘楼など、総計仏堂、塔廟637宇、大津の民家1853軒、仏像二千余体、これらがあっという間に焼失したのは悲しい。(中略)…「このような天下の乱れや国の騒乱は、普通のこととは思われない。平家の治める世が末に.なる前兆だろうか」と、人々は申し上げた。


2.平清盛 、都を遷す「都遷(みやこうつり)」『『平家物語』巻第五〉(右の資料を参照)
■【治承四年(1180)6月2日、遷都が行われ、安徳天皇、高倉上皇、建礼門院をはじめ、平家一門が新都に移った(6月3日福原着)。平頼盛の宿所が皇居になり、その褒賞として正二位に昇進。(中略)…以仁王の謀反があった後なので、後白河法皇も福原に移し、四面に板を張りめぐらし、入り口を一つ開けた中に、法皇を押し込めた(子供たちは「籠の御所」と呼んだ)。「平家の悪行については、すべて極限に達してしまった。」と人々は申し上げた。(中略)…平家の始祖である桓武天皇が、「平らかに安き都」名づけた都(平安京)を、大した理由もなく、他国他所へ遷すとはあきれ果てた事である。…一天の君、万乗の主たる帝でさえ、遷すことができない都を、清盛が人臣の身でありながら、遷しなさったのは、恐ろしい。(中略)…旧都は田舎になってしまった。旧都の内裏の柱に落書が二首。「百年(ももとせ)を四かへりまでに過ぎ来にし 愛宕(をたぎ)の里のあれやはてなん」(意訳)(百年を四回繰り返すほど長く続いてきた。愛宕の里はきっと荒れはててしまうのだろうか)。「さきいづる花の都をふりすてて 風ふく原の末ぞあやふき」(意訳)(咲きほこる花のような都をふり捨てて、風が吹く野原のような福原に行くこの将来危うい)。】


「月見」(つきみ)〈『平家物語』巻第五〉
この「月見」の段は、『源氏物語』の光源氏をしのび、旧都に出かけて恋人に会って歌を詠んだ物語。
(要約)【秋もなかばとなり、新都の人々は、須磨・明石など名所の月見に興じたが、徳大寺の左大将実定(さねさだ)は、荒れはてた京都にもどり、近衛河原の大宮(妹)を訪ねた。(中略)この女房が「待宵の小侍従」といわれるのは、ある時御所で、「恋人が訪れるの待ってすごす宵と、恋人が帰っていく朝と、どちらが情趣あふれるものか」と、お尋ねあったところ、恋人を訪れるのを待ち続ける宵の方がつらい。それで、「待宵」と呼ばれた」。夜も明け、帰途についた実定は、お供の蔵人に「小侍従が名残惜しげにしていたので、もどって何か言ってくるように」と命じた。引き返した蔵人は、小侍従に「物かはと君が言ひけん鳥の音の 今朝しもなどか悲しいかるらん」(意訳)(待宵の鐘に比べれば大したことはないといった夜明け前の鶏の声が、今朝に限ってどうしてこんなに悲しいのだろうか)と歌で問いかければ、小侍従は「またばこそふけ行く鐘も物ならめ あかぬわかれの鳥の音ぞ憂き」(意訳)(来るはずの恋人を待つなら、夜のふけゆくのを告げる鐘も趣深いものとなるが、今はまたいつ会えるかわからないないので、名残りのつきない別れの時を告げる鶏の声がつらい)、という歌で返した。
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***あとがき***
○福原
福原に別荘を構えた清盛は、亡くなる前年までの14年間をこの地で過ごし、日宋貿易の拠点として大輪田泊(現在の兵庫港・神戸港西部)を改築し、福原遷都を強行。栄華をきわめた福原京は平家が落ち延びる際にすべて焼き払い、正確な場所はわかっていない。近年、神戸大学附属病院構内に福原京の遺跡が見つかる。
○四重田先生の『平家物語を読む』は、今回で、8回目の講義となります。
第1回「平家物語」無常〜平家物語の冒頭を読む〜(2011年1月)
第2回「平家物語」に描かれる平清盛(2011年6月)
第3回「平家物語」〜平清盛の息子重盛〜殿下乗合を中心に(2012年1月)
第4回「平家物語」〜鹿谷事件を読む〜(2012年5月)
第5回「平家物語」〜清盛の嫡男重盛〜(公開講座)(2012年9月)
第6回「平家物語」祇王〜清盛に人生を変えられた舞姫〜(2013年7月)
第7回「平家物語」〜以仁王と源頼政〜(2013年12月)