(%紫点%)前期講座(文学・文芸コース)の第6回講義の報告です。
・日時:4月24日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:北政所おねの生涯とその役割
・講師:田端 泰子(たばたやすこ)先生(京都橘大学名誉教授)
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(%エンピツ%)講義の内容
1.「北政所」の実名と生まれた年
・実名については諸説あり。ねね、おね、おねい、ねい、あるいは寧子など、秀吉の手紙には「おね」あてのものが多いので、 「おね」 が最も実名に近いと考える。また、生まれた年にも諸説あるが、天文11年(1542)年説が妥当と考える(田端先生説)。…ちなみに秀吉は天文6年(1537)生まれ。
2.おねと木下藤吉郎との結婚
・秀吉は尾張中村の出であるとされる。「おね」も尾張の生まれ。父は杉原定利、母は朝日。→おねと木下藤吉郎の結婚は、現在の言葉でいうところの「恋愛結婚」だったようである。母の朝日は二人の結婚に猛反対《二人の結婚は「野合」(やごう)(周囲の反対にもかかわらず密かに結ばれている)》(朝日は、一生涯この婚姻を認めようとしなかったといわれる)。
・永禄4年(1561)、土間での結婚式。(藤吉郎夫妻は質素な農民と変わらない暮らしをしていた。)
3.長浜時代のおね(城主の妻)
・木下藤吉郎が織田信長に家臣化した契機についての確実な史料は残っていない。しかし藤吉郎が非凡な才能をもっていたらしいことは、永禄8年(1565)に信長の奉行の一人になっていることから推測できる(藤吉郎は29歳、信長は秀吉の三歳年長であるから32歳。このとき、藤吉郎は「木下藤吉郎秀吉」と署名している)
・[秀吉、江北三郡を拝領]…信長は、元亀元年(1570)に、越前の朝倉氏・近江の浅井氏を滅ぼし、足利義昭.を追放。秀吉は江北三郡の新しい領主に抜擢される(1573年)。→天正2年(1574)に秀吉は長浜城に入る。(このとき、「羽柴」に改姓している)
◆天正4年頃の織田信長書状(右上の資料を参照)
*「おね」あての信長の書状(藤吉郎の代わりに信長に挨拶に出かけたおねへの書状)
(要約)「おねが信長のいる新しい城(安土城)に初めて挨拶にやってきたのはうれしい、また、おねの持参したみやげが立派で(目にも余り、筆にも尽くしがたい)。…また、おねの容貌をほめている。…藤吉郎がこのおねにたいして「不足」をいうのは言語道断であると藤吉郎を非難し、おねほどりっぱな妻はあの(はげねずみ=藤吉郎)が二度と再び得ることができない。…だから、おねは悋気(嫉妬)心などもってはならない、(女のつとめ)であるのですべてを言葉に出してはいけない、うまく夫をあしらうようにするがよい、と述べている。そして最後にこのおね宛の書状を藤吉郎に見せよと念を押している。」
4.北政所の役割(天下人・秀吉の妻)
・天正10年(1582)5月、本能寺の変。→(1582年)山崎の戦い(明智光秀を破る)→(1583年)賤ヶ岳の戦い(柴田勝家を破る)→(1584年)小牧・長久手の戦い(徳川家康・織田信雄と戦うが和睦)→天正13年(1585)「関白」・従一位(関白秀吉の誕生)
◆「北政所おね」の役割
・関白の正室は平安朝以来、「北政所」(きたのまんどころ)を称せられたので、これ以後おねは「政所さま」と呼ばれることになる。
○「北政所」の役割(多様な役割)
a.関白の正室・北政所として、天皇家、公家、寺社とにおつきあい(おねの指揮のもとになされる)
b.養子・養女・側室・女房の監督や養育・教育
c.大名家からの人質(京・大坂在住)を預かり、相談にのる
d.秀吉の留守を守り、情報収集や物資運送
5.秀吉死後(後家)の高台院
・秀吉の死後、大阪城からしりぞいて京に住み、秀吉の菩提を弔う役割。
・大坂城落城後のおね
「大坂の御事ハ、なにとも申候ハんすることの葉も御入候ハぬ事にて候」 (意訳)(大坂のことは、何とも申し上げるべき言葉はありません)と述べている。…その短い言葉に、いかなる感慨がこめられているか。
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***あとがき***
・秀吉にとって、おねは「糟糠の妻」であり、どんな場合でも正夫人(正室)として立てた。秀吉の死後も「政所さま」と言われていた。無位から従一位.まで立身出世した女性は、おねが唯一の事例。
・田端泰子先生は、女性史の第一人者です。女性史については、史料が少なく、「おねについても、秀吉や家臣の史料から、どう見ていたのか、まわりの人たちの史料から、調査しないとわかならない。」という難しさがあるとのことです。
・今日の講義は、視点が違って、新鮮な魅力ある講義でした。本来は、「歴史コース」でのテーマですが、「文学・文芸コース」は受講生の8割を女性占めていますので、採用しました。