(%緑点%)前期講座(歴史コース)の第7回講義(現地見学)の報告です。
・日 時:5月13日(火)am9時40分〜pm4時
・参加者:37名(女性12名、男性25名)
・講師:和田萃先生(京都教育大学名誉教授)
・【コース】:近鉄桜井駅−修徳橋−金屋「仏教伝来碑」−海石榴市観音−志貴御県神社−金屋の石仏−大神神社《昼食》−狭井神社−桧原神社−井寺池−茅原大墓古墳−ホケノ山古墳−慶雲寺−国津神社−箸墓古墳−バスで桜井駅へ (約10km)
・天候:(%晴れ%)前日の雨が止み、五月の爽やかな風が吹いていました。
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(%エンピツ%) 海石榴市(つばいち)
近鉄桜井駅に9時40分集合。近鉄線の北側沿いの道を歩き、初瀬川(河川法では大和本流)に突き当たる。このあたり【海石榴市】は、古代、東西の陸路や難波への水路が集まる重要な市(いち)であった。(海石榴市観音堂を含むこの一帯を日本最古の市があった海石榴市跡と呼び、山辺の道の南の起点。)
◆「仏教伝来碑」(右上の写真を参照)
この場所は、仏教が初めて日本に送られてきた記念すべき地。日本書紀に「欽明天皇の十三年(552)に、百済の聖明王が使いを遣わし、仏像・経典を伝えた」と記されている。また、「推古十六年(608)、遣隋使小野妹子が隋使裴世清(はいせいせい)らを伴って帰国し、一行は海石榴市で歓迎を受け、飛鳥の京に向かった。」
◆「金屋の石仏」
平安時代の造立といわれる。金屋(かなや)の村はずれにある収蔵庫に蔵められている2体の石仏。日本で指折りの名石仏。
(%エンピツ%) 大神神社(おおみわじんじゃ)
志貴御県坐神社から山辺の道をたどると、かつて大神神社の神宮寺であった平等寺をへて大神神社に達する。大神神社は三輪山(標高467m)を御神体としてお祀りしているので、本殿はなく拝殿のみであり、古代の神祀りの形態をよく留めている。
◆「狭井神社」(さいじんじゃ)
大神神社から山辺の道を200mほど北へたどると摂社の狭井神社がある。本殿の東地隅に「狭井」(「神聖な泉」の意)と称する泉(井戸)がある。狭井神社から三輪山に登れる。
◆「大神(大美和)の杜」展望台
大神神社から山辺の道を200mほど西へ辿ると奈良盆地が展望できる「大美和の杜」。東に三輪山、西は大和国原が一望。大和三山、二上山、葛城山、金剛山、多武峰、生駒山など望め、古代の風景を目のあたりに見るようです。
(%エンピツ%) 「山辺の道」(やまのべのみち)
山辺の道を歩くのは心楽しい。四季それぞれに趣がある。とりわけ春と秋が好ましい。霞たなびく大和国原を眺めながら山辺の道を辿れば、古代の大和を歩いているような錯覚を起こす。…山辺の道は、三輪山の麓から石上神宮(いそのかみじんぐう:天理市布留町)をへて、奈良山に至る道。日本最古の古道である。その起源は大和王権が成立した四世紀初頭前後まで遡るとみてよい。(和田先生の著書より)
(%エンピツ%) 「桧原神社」(ひばらじんじゃ)(右の写真を参照)
大神神社の摂社のひとつで、三輪山中にある磐座を神体としているので本殿はない。「元伊勢」とも称せられるのは、天照大神を伊勢神宮に移し祀る以前の鎮座地だったことに基づく。三ツ鳥居が珍しい。二上山をほぼ真西に望む景勝の地であることから、山辺の道を歩く人たちの、しばしの憩いの場となっている。…桧原神社から西へ下り、井寺池(いでらいけ)の辺りをへて箸墓古墳に至る。
(%エンピツ%) 「箸墓古墳」
箸墓古墳は、墳丘長280mの前方後円墳で、200mを超える巨大古墳で最も古いとされる。卑弥呼の墓という説が出ている古墳。…あらためて来てみると、その大きさにひき付けられます。
◇三輪山(右の写真の左側)
三輪山は円錐形の秀麗な山。奈良盆地からどこからでもその山容をのぞむことができる。しかし、平成十年(1998)8月に襲った台風七号により、山頂近くの樹齢ニ・三百年の杉の巨木の多くが倒壊し、かつての美しい姿は失われてしまった。あと、二・三百年経なければ、秀麗な山容を目にできない。返す返すも口惜しいことである。(和田先生は、今日の見学で、この感慨を繰りかえされた。)
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[参考資料]
○図説「飛鳥の古社を歩く」(飛鳥・山辺の道)著者:和田萃 写真:森和彦(河出書房新社、2007年発行)