「大伴家持の歌学び」

(%紫点%)前期講座(文学・文芸コース)の第9回講義の報告です。
・日時:6月12日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:『万葉集』−大伴家持の歌学び
・講師:市瀬雅之先生(梅花女子大学教授)
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**大伴家持(おおともやかもち)(略年表)**
・718〜785年。父、大伴旅人(たびと)。坂上郎女(さかのうえのいらつめ)は叔母。
・旅人、大宰師(728〜730年)。家持も同行。
・746〜751年…越中国守。
・755年…兵部少輔として、防人(さきもり)歌を記録。
・758年…因幡国守(左遷)。翌759年、因幡国庁で万葉集最終歌を詠む
◇大伴家持は、『万葉集』にもっとも多く歌を残すとともに、『万葉集』の編纂者であるとみられる。15歳くらいからの作歌があり、30歳前後までの作品には、様々な女性(紀女郎、笠女郎、坂上大嬢)などと交わした相聞歌が多い。

奈良時代は誰に歌を学ぶのでしょう
(1)【紀女郎との贈答】(一)(抜粋)(右の資料を参照)
★紀女郎(きのいらつめ)、大伴家持に贈る歌、女郎は名を小鹿といふ
神さぶと 否にはあらず はたやはた かくして後に さぶしけむかも」(巻四・762)
(訳)(もう歳だからいやともうしあげるのではありません。ひよっとしてこうした後にさびしくなるのではないでしょうか)。「神さぶ」は年をとること(恋をする年齢を過ぎたということ)。「はたやはた」は、「はたまた、一方では」の意。
★大伴家持が和(こた)ふる歌
百歳に 老い舌出でて よよむとも 我は厭はじ 恋はますとも」(巻四・764)
(訳)(百歳になり老い舌が出て歩けなくても私は気にしません。恋しさが募ることはあっても)。「老い舌が出る」とは、歯の抜けた老人のしまりのない口から舌が出ること。
(注)紀氏は名門。紀女郎は家持より年上だった。(家持は、18〜19歳の若者)

【紀女郎との贈答歌】(二) (抜粋)(右の資料を参照)
★紀女郎、大伴家持に贈る歌
昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木(ねぶ)の花 君のみ見めや 戯奴さへ見よ」(巻ハ・1461)
(訳)「私だけが合歓木のように恋の妄想を抱いて寝るのか。家持よ、お前も見なさい。お前も見て恋に苦しみなさい」といって、紀女郎は合歓木を贈った。《〈戯奴(わけ)は、家持をさす。君は自分(紀女郎)のこと。合歓木(ねむ)の花は、昼間は咲き、夜葉を閉じる習性によってねぶ(ねむ)といわれる。》
★大伴家持が贈り和ふる歌
我妹子が 形見の合歓木は 花のみに 咲きてけだしく 実にならじかも」(巻ハ・1463)
(訳)(あなたの形見のねむは花ばかり咲いて、おそらく実にはならないでしょうよ)。

(2)【笠女郎との贈答歌】(抜粋)(右の資料を参照)
(注)笠女郎は伝未詳。「笠」という氏で、万葉集に29首収められている。特にこの「巻四」に一括収録された大伴家持あての恋歌24首が有名です。
★笠女郎、大伴家持に贈る歌二十四首(抜粋)
君に恋ひ いたもすべなみ 奈良山の 小松が下に 立ち嘆くかも」(巻四・593)
(訳)(あなたに逢いたくてどうにもならず、奈良山の小松のもとに立って嘆いています)
我がやどの 夕影草の 白露の 消ぬがにもとな 思ほゆるかも」(巻四・594)
(訳)(家の庭の夕影草の白露のように、消えるようにじれったくあなたのことが思われる)。「夕影草」は夕方の光の中にみえる草。家持の来訪が無い夕べ、草の露を見つつ歌っている。
心ゆも 我は思はずき また更に 我が故郷に 帰り来むとは」(巻四・610)
(訳)(まったく思ってもみませんでした。家持との恋に破れ、私の故郷に いまさら帰ってこうようなどとは)。

若い家持はタジタジです。
★大伴家持の和ふる歌二首(抜粋)
なかなかに 黙(もだ)にあらましを なにすとか 相みそめけむ 遂げざらまくに」(巻四・612)
(訳)(いっそのこと黙っていればよかったのに。どんなつもりで逢いそめたのだろう。末まで、添い遂げられそうにもないのに)。
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***あとがき***
・大伴家持は、女郎(いらつめ)たちとの歌のやりとりで育っていった。歌のすべてが現実の恋愛関係を直接反映しているわけではない。(恋のざれ歌というものを贈ってもさしてとがめられなかった思われる)。
・女性が先に歌を詠んでいる時は、「からかっている」ケースがあり、男はそれに「うまく答える」ことが必要。
・『万葉集』の巻一は「雑歌」、巻二「相聞」と「挽歌」、巻三は「雑歌」「比喩歌」「挽歌」、巻四は「相聞」。