大阪の名所と名勝〜中之島と道頓堀〜

(%緑点%)前期講座(歴史コース)の第12回講義の報告です。
・日時:6月24日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:大阪の名所と名勝〜中之島と道頓堀〜
・講師:薮田 貫先生(関西大学教授)
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20世紀初めの大阪の名所を点検する
1.明治36年万国博覧会みやげ浪花名所(入場者数530万人)
1903年(3月1日〜7月31日)第五回内国博覧会は、大阪の天王寺今宮で開かれた、明治時代の最大規模の国家的イベント。全国からの見物客に備えて、会場への足として巡航船が運行。郊外天王寺の開発(跡地は天王寺公園、新世界や通天閣)。⇔大阪万博(1970年)は、千里開発。
・《名所図絵の見方》右下の「梅田ステーション」を出発→堂島川渡辺橋→中之島公園地→・・・→大阪城→城南練兵j場→・・・→心斎橋→道頓堀芝居→・・・住吉神社→堺大浜水族館(第2会場)→天保山沖→・・・→大阪府庁→・・・→高津神社→…→四天王寺西門→・・・→一心寺→博覧会正門 (注)双六(すごろく)めぐり

共存する新旧の名所
・新名所の創出…大阪はいちはやく産業革命を経験する。新しさは、高層建築物・鉄橋・汽船に象徴される。木から鉄への転換が、大川周辺ではじまっている。その動向を象徴するのが、造幣局(レンガ造り)(右上の写真を参照)。与力同心の役宅を壊すことで建てられている。
・大阪の近代化、狭い大阪、なにかを消さないと新しい文明の象徴はできない。こうして、「武士の町」はなくなっていった。

新浪華十二勝…藤澤南岳の詠んだ大阪名勝
藤澤南岳…(1842〜1920年)。大阪の【泊園書院】(漢学塾・私塾)を父から継承し数千人の門人を擁した。近代大阪の教育界を牽引。 (注)大阪の漢学を中心として支え続けた懐徳堂は明治2年に廃校。
・名勝の創造…都市大阪が近代化の歩みを進めている時、漢学者・南岳の想像力が遺憾なく発揮。(右上の資料を参照)→新築港、造幣局、砲兵工廠、淀川橋、農学校、練兵場とあるように、いずれも近代建築物を名勝に詠み込んでいる。
・名所と名勝…ウタドコロとして和歌に詠まれた「名所」が、漢詩の力によって「名勝」として再生され、近代大阪の名勝の誕生を告げている。
・南岳は、「通天閣」、「寒霞渓」(紅葉で有名な小豆島)、「仁丹」(門人でもあった森下博(1869−1943)が製造した常備薬)の命名者。

2.中之島と道頓堀
〇【中之島】(大阪の行政、経済、文化、情報などの中心地)
文字どおり川の中の島である。大阪の顔である。東の部分では大阪市役所、中之島図書館、中央公会堂、日銀大阪支店。西の部分では科学館、フェスティバルホール、朝日新聞社、リーガロイヤルホテルなどが立ち並ぶ。中之島地域は江戸時代においても経済の中心地。「諸藩の蔵屋敷の大部分が中之島にあった。
大阪府立中之島図書館
住友家(住友吉左衛門)が大阪府に寄贈してできたもので、明治37年(1904)に完成した。→都市景観における《私企業の役割・オーナーの想い》は重要。
(注)右上の中之島図書館前にある豊臣秀吉像は一時あった。

〇【道頓堀】(芝居小屋の町→食い倒れの町)
昔も今も大阪第一の名所である。人出の凄さは大阪随一である。しかし、道頓堀ほど都市の変貌を遂げたところもほかにない。元和元年(1615)の道頓堀開削、その後の新地開発と芝居・茶屋の誘致以来、道頓堀といえば芝居町であった。その後、江戸・明治・大正・昭和と350年を超え、芝居小屋として栄えた町であった。→.しかし、1980年以降、中座・南座・朝日座などの芝居小屋が途絶え、平成11年(1999)の中座閉鎖を最後に道頓堀から劇場が姿を消した。今や「食い倒れ」の町道頓堀になってしまった。現在の道頓堀は問題。”儲かればよい”何をしても、稼げればよい。それでは、町が守れなくなる。
・CG(コンピュータグラフィックス)による「道頓堀五座の風景」の観賞
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**あとがき**
■町づくりは、歴史・文化を継承する努力が必要。古いものはいいものだ(保存)と新しいものを造る(再利用-無用の土地を探す)ことのバランス。
☆〈古いものを残す事例〉…「東京駅」は変わらない。大阪駅(五代変る)・京都駅は変わった。どちらを評価?
■都市景観の保存には、地元の資本(私企業の協力)が必要(誰が金を出すか)。
☆〈私企業の想いの事例〉…「富岡製糸場」の世界遺産⇒片倉工業(生糸生産工場)の柳沢晴久社長が工場を閉じた後も建物を維持管理。「売らない、貸さない、壊さない」を約20年守りつづけ、2005年に群馬県富岡市に無償譲渡した。(維持管理費は年約1億円近くかかっている)。2014年6月21日に世界遺産に決定。
■社会経験のあるシニアの皆さんに、都市の歴史・文化を継承する担い手になっていただきたい。(薮田先生)
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<参考資料>
・『大阪都市遺産研究』第1号、第2号、第3号(関西大学都市遺産研究センター刊)